脇能としての位置付け。
「養老」は前シテが現実の人間であるが、「賀茂」では神の化身として里女で登場している。賀茂神社の縁起を述べ、その御神体である別雷の神と御祖の神が五穀豊穣、国土安泰を誓うという典型的な脇能物である。作者は金春善竹であるが改作である。

「賀茂」の見どころ。
①前場ではあえて「里女」を登場させて効果を際立たせている。語リで述べられる賀茂神社の処女懐胎伝説を意識して、構成にリアリティを与えている。また、前半は女性で、後半が荒々しい雷神という、静と動の対比効果もある。
②後場では、ツレ(御祖の神)の天女ノ舞、シテ(別雷の神)の舞働、キリ舞など舞踏的要素を中心とした展開となる。いずれも躍動感のある颯爽とした舞です。
※舞働・・龍神、鬼神、妖怪や畜類などが演じる所作で相手に襲いかかる様子や力を現す。舞の定例的な旋律の伴奏で舞う。
③真の一声が省略されずに、本来の寸法で演奏されている。


《前場》
背景。
山城国(京都)の賀茂神社(上・下)がこの能の背景である。賀茂神社は加茂川の水の神を祀っている。
本来の伝説(古事記等)では「祖父→母→孫」の母系社会としての位置付けであるが、能では中世の父系社会を意識して「父→妻→子」が3神となっている。


ワキ・ワキツレ登場。
・「作り物」が置かれているが、突き立てられた「矢」が「父親」を表している。古くは「矢立賀茂」と言われた名曲である。
真の次第(脇能でワキやワキツレの登場に限って囃す囃子。颯爽とした感じで笛・小鼓・太鼓で囃す。)による音楽でワキが登場する。幕上げまでは普通の次第と同様です。

・つま先で伸び上がる様な動作(幕離れ)やきびきび、颯爽とした動作は脇能のワキ特有の所作である。←ワキ方流儀で異なる。
・衣装・・・・合わせ狩衣、白大口、大臣烏帽子.厚板。
狩衣(かりぎぬ)
高い身分の男性や、一部の神や天狗が着用する装束。中世の公家が着用した服装。
厚板
表着の下に着用されるため舞台では目立ちません。主に男性や鬼神が着ますが、抽象的で大胆な文様が特徴で、厚手の織物から作られている所から厚板の名前がつけられています。
上頭掛
烏帽子に掛かっている紐のことである。ワキは「赤」、ワキツレは「黄緑色」となっており、色の区分けで「位」を表している。
なお、ワキツレは赤地の狩衣をまとっていることから、「赤大臣」とも呼ぶ。

名宣座の前でワキが歩みを止め、囃子が急調に転じて本舞台へ出てくるこの呼吸も脇能特有の「出」のやり方である。
やがて・・・・三者が向き合い・・・・次第の謡を勢いよく謡う。
○次第:清き水上尋ねてt~ワキ・ワキツレ→地謡(地取り)→ワキ・ワキツレ・・三遍返し(道行)・(脇能の定型である変則的な次第)
※三遍返し・・・脇能あるいは重い能の特別な決まりで、格調を高める効果があると言われている。

前シテ、ツレ登場。
真の一声(脇能でシテ・ツレの登場の囃子。静で気品が高く、ゆっくりした曲。笛・小鼓・大鼓・太鼓で囃す。)・・大変荘重な囃子です。ここでは省略されずに演奏されている。「越ノ段」では笛のアシライが入らず、大鼓と小鼓が魅力的な手配りを演奏します

ツレ(里女)登場。
・この女性は里女として登場しているが、没個性である。脇能の決まりである。面は小面。

シテ登場
・里女であるが、御祖の神の化身である。
・衣装は金地を主体とした菊尽くし模様の唐織である。これは格の高い装束である。(喜多流では銅箔とも呼ぶ)
・水桶を持っているのは、この二人が「水を汲みに来ている」ということ。
真の一声(イッセイ)「御手洗しや深き心にすむ水の・・・・・・」
   ↓
真の一声の最後の部分で囃子が静まり、シテ、ツレがそれぞれ一足歩みを詰め合う→もっとも荘重な部分である。
   ↓
本舞台へ・・・・・
・季節は夏(水無月半ば・・・)・・今で言えば8月初旬・・・・最も暑い頃、清らかな水の湧く加茂の境内で、木漏れ日のチラチラ当たるような水面で水を汲む美しい光景である。→この光景が後場との対比を際立たせる効果となる。

来序
太鼓が入り、そのリズムに合わせて前シテ、ツレが退場・・・・中入りへ・・・・・・これも脇能特有。
※来序・・・笛・大・小鼓、太鼓で打つアシライ囃子で中入に囃す。神・帝王などの退場を送る時に緩やかに囃す。


《来序中入》
   
「来序」の囃子の調子が急に変わる。→太鼓が軽やかになる。
アイ狂言。・・・・・末社の神(位の低い神)登場。
「替間(かえあい)」(お祝い事など特別な時に演じられる間狂言)で、のどかな早春、神主と早乙女たちによって行われる田植えの儀式を、謡と舞によって描いています。そもそも、能・狂言の始まりは天下泰平・五穀豊穣を祈る神事であったことを思い出させてくれる曲です。
・「御田」とは、神に捧げる稲をとる神聖な田んぼのこと。そこで田植えをすることが、この狂言のテーマである

能での季節は水無月と言っているが、実際は8月初旬位であることからすれば、狂言との季節がズレていると言えるが、ここではそのような事は関係なく、加茂の神である水の神、農耕の神、稲作・農耕に対する豊かな思想がこの能の背景となっている。
・「田植歌」なるものは、重労働である田植えの労働の苦悩を忘れるように考えられたのかも?

狂言下り端で早乙女登場。
下り端(さがりは)・・・・能では後シテや後ツレの妖精・精霊登場のとき演奏される音楽で、明るくゆったりとしたリズム感がある囃子。狂言では「楽しい場面」での囃子となっている。
・早乙女とは苗を植える女のことであり、若い女という意味ではない。
この場面では田植歌というよりも「悪口」の言い合いのようである。
「田植歌」と同じように、田植えという労働を活性化する意味合いもあるが、また、元気の良い言葉の力で稲の成育を助けてもらうという「言霊信仰」の側面もある。謡いながら舞うことは大変難しいと言える。
・頭に巻いている白い麻布はビナンカヅラ(美男鬘)と言い、中世の女性の風俗であった。髪の毛を汚れから守ろうとして巻いていた。能の中では、女性役のチョンマゲを隠す役割があったと言われている。

《後場》

前場のシテである里女は「御祖の神」であるが、後場ではこの「御祖の神」(女神)はツレとして登場している。従って役者は後場では違う神「別雷神」(男神)を演じている。これは「凝った」演出とも考えられるが、反面もともと本曲の前場にシテはなく、後場だけに登場する構成だったとも考えられる。

出端(3節構成)
後場にだけある静寂と躍動感を交差させた登場楽。神・幽霊などの非人間の役のシテ又はツレに使われる。必ず太鼓が入る。
後シテ・ツレ登場。
後ツレ天女(御祖の神)の登場。←後シテの前ぶれとしての華やかな雰囲気作り。
・衣装・・・・長絹、白大口(喜多流では決まり)を着用している。胸元・袖の白い糸は露(ツユ)と言い、装束としての装飾の役割だけでなく、袖返しの際返り易くする錘代わりであり、バランスをとる役目を果たしている。天冠・瓔珞(ようらく)
瓔珞(ようらく)は面にぶっつかって傷をつける場合もあったので、皮細工で金箔を施すこともあった。
天女舞(太鼓入り3段中の舞)・・・・やや早めに短く舞う。
・足拍子でオロシとなりテンポがゆるむが、これは舞があまり加速しない様にするためである。→また元へ戻り、段をとって行く。
中ノ舞・・・序之舞より速く、男舞より静で上品な舞。正式には四段五節(観世流は五段六節)だが三段四節に略す事も有る。又ツレが天女の場合は「天女之舞」という。

後シテ登場。・・・・別雷神→雷神(雨の神)は農耕を守る神である。
・神の来現を予告する囃子(早笛)。テンポが速く、品格の高い雰囲気を表現。
早笛:笛を主に大鼓・小鼓および太鼓ではやす急調子のもの。竜神・鬼畜・猛将の亡霊などが走り出るときに用いる。

・御幣を持って登場する。神霊の寄りしろを表す大事な小道具である。→一の松で名のり。
・衣装・・・・赤頭、厚板、狩衣は紺で格調の高さを表している。半切の袴、唐冠(とうかむり)。金の紙の飾りは稲妻を表している。
半切・・・大口に似た袴で華麗な模様が施されている。
・囃子の舞働きではシテがただ舞台を回るだけであるが、神の勢い、神霊の勢い、無限の力の見せ所です。
・キリの舞では「ほろほろ、ほろほろ、とどろとどろと踏み轟かす」までの足拍子が特徴的。十六回の緩急をつけた足拍子によって、遠近の雷鳴を表現している。

雷の光を「稲妻〔いなづま〕」と呼びますが、晩夏から初秋にかけて、雷がよく鳴るような天候の年は豊作になると言われているのも、雷神のエネルギーが稲穂に宿ると考えられていたのかもしれません。
以上

能曲目鑑賞ポイント解説

賀茂