夢幻能としての最高傑作。
夢幻能とは・・・・ある土地を訪れた旅の者(ワキ)がある者(シテ)と出会う。後半になるとワキの夢の中でその者が神や精霊だとわかり、彼らの身の上やその土地にまつわる話を聞くという筋である。主人公が亡霊として登場し、自分が生きていた過去を回想することで、過去と現在が自由に交錯し、そこに生まれる心の動きそのものがドラマとなっている。場所・時・空間を越えて表現する事を可能にしたと言える。
複式とは舞台を前半・後半に分けることである。従って夢幻能は普通に複式であるが、「経正」「羽衣」などは単式である。

「井筒」の特徴。・・・・三番目物
女の深い情と思いやりが、幼なじみで結ばれた男女の別離の危機を救うという、『伊勢物語』23段「筒井筒」を基に世阿弥60才頃の作品と言われており、主人公の心情を風景に重ね合わせ、旋律やリズムにも凝った謡いで、自身が「快心の作」と呼んでいる曲である。
「筒井筒 井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」「くらべこし振分髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」

井筒は時間の流れと逆順に構成されており、夫の死後の弔いから始まり、浮気する夫を待ち続けた話へと向かい、そして最後に物語の核心である夫との馴れ初めへと向かう。 これにより物語は「夫への一途で純粋な恋の思いへと集中」してゆく。

この曲のテーマは「永遠・不変の恋慕」である。死後までも続く女の純真な情は、恋愛の永遠性を感じさせるものになっています。恋慕には怒りの場合、喜びの場合もあるが、それはシテの内面的な描き方による。

・筋立てそのものが劇的要素を含んでいるわけではなく、構成も目を見張るような趣向があるわけではない。シンプルに出来ていて、内面的には広がりを持った、美しさの詰まった作品である。その単純さは、世阿弥のいう「「心(しん)より出で来る能」と言える。
・清らかで美しい、かつ成熟した女性を併せ持つ女性が演じられている。耐える!待つ!許し続ける!強い(怖い)女性が演じられている。特に大事な部分は謡で表現されている。「筒井筒 井筒にかけしまろがたけ・・・」
序の舞における表現に注目!!
15分程であるが、舞台と見る人が一体となっていく時間である。
言葉は謡で表現するが、舞は理屈が不要である。初心者はとにかく「役者の内面に持っている感性」をどう感じて行くのかという観点が必要だ!
見る、感じる・・・女の魂→シテの魂→観客の魂→そして・・・自分が舞っているように感じられたら最高である。

この舞が終わらないで欲しい!という感じになれるか・・・・・
・すごく激しい部分と静の中に動がある。面を見ていて年令が変わって行くように感じないだろうか・・・・・

《前場》
作り物。
・薄を挿した筒井筒という井戸の作り物があるが、これは古い塚、荒れ果てた在原寺を表している。ポツンと舞台に置かれているが、この井戸は恋物語の象徴として後で大きな意味をもってくる。
・出会いの象徴、懐古の場面、ススキの役割等々。

ワキ登場。
・「名ノリ笛」の独奏でワキが登場する。僧侶の登場時に演奏する。
・僧が弔った事で、在原寺は平安の昔から目を覚まし、恋物語がよみがえります。

前シテ登場。
・シテ登場楽(次第)は大鼓・小鼓であまりリズムに乗らない様に囃している。この音楽は登場前の登場人物のキャラクターを暗示している。
登場するのが人間の場合、あまりリズミカルにしないのが能の決まりである。
《大鼓はカチッとして鋭い音色を特色とし、小鼓は色々音色を変えるところに特色があるが、二つの鼓が組み合わさって能のあらゆる場面の間を支えているのだ!》
・装束は唐織着流しであり、模様には秋の草花が織り込まれている。水桶は業平の墓に手向けるためである。
・こうこうと月が照り、松に吹く風の音が聞こえる秋の夜、一人の女の登場で、女の中でずっと暖められてきた恋物語が熱く展開して行く・・・・・
仏の詩人ポール・クローデルは「能とは何者かの到来である」と語っています。
井筒では何も事件は起きない。ただ恋物語を胸に秘めた女性がやってくるだけです。しかし彼女の中でどれだけ厚い思いが積み上げられてきたのか、年月を重ねて純粋な想いへ淘汰されるまでの恋物語ほどドラマチックなものはない。事件をなぞるよりも、様々な想いに揺れ動く人の心を描くほうが、はるかにドラマチックである、・・・・と言われるように「前場」はほとんど動きはありません。
・水を手向けた後、荒れ寺で昔を偲び思い出に浸る。
夫婦として住んでいた昔の話、心変わりした男を待ちながら詠んだ詩・・・・
《前場のクライマックスの始まり・・・・》
・地謡の初同・・・名ばかりは在原寺の~・・・・の中で、業平の墓をじっと見やり、昔をなつかしく思い出す・・・・・
・伊勢物語を語る・・・・昔在原の中将~・・・・・・・・・・哀れをのべしも~・・・

クセへ・・・・・恋の原点に帰るような謡いが展開する。
§居グセについて・・・
・ただしゃがんでいるようであるが、ここは一番気力が充実していなくてはいけないところです。井戸へ想いが一点に集中いる姿である。このみなぎる力を「下居」でを抑えつけている。内面の力と外へ発散するエネルギヘの「拮抗」がとれていなければ、美しい姿にはみえない!。ここで私達は想いを重ね合わせてみることが大事です。
・大鼓はシテの背中を見ながら打つ。背中を見るだけで「力量」がわかったという。
・この時の面が動かないだけに色々に見えるはずです。
離見の見・・・・集中しなければいけないが、役柄にのめり込んでもいけない。すばらしい地謡に支えられても、常に「引いている」部分が必要ということのようです。

・プロポーズの謡はシテが行う(筒井筒 井筒に~)←ワキ(観客の代表者)に向かって話している。
あまり詳しく語るので、ワキが問いただすと、女は紀有常の娘の霊と名のり、井戸のそばでふっと姿を消す。
・「送り笛」でシテが退場。

・狂言方である里人が登場し、二人の恋物語の詳細を語る。

《後場》
・旅の僧は寝入ってしまう。
後シテ登場。
・一声(後場の主人公の登場音楽)により後シテ登場。
人間ではなく、霊が登場するのでも前場よりもリズミカルに演奏している。
・業平の形見である直衣をまとっている。笛は特別のメロディーをアシライ、鼓も思い入れのある手を打ち、女もじっと衣にのめる。それぞれに思い入れを表現しながら、謡いに引かれるように昔男(業平)が乗り移って「序の舞」へ・・・・

序の舞・・・・・・能の中では一番ゆっくりした舞である。
・特に何か特別な意味がある訳ではない。ゆっくり舞台を回り、ある時は手を前に差し出し、ある時は袖をかつぎ、ある時は足拍子を踏み、というように抽象的な動きに終始する。→扇を開いたり、持ち替えたりする時が一つの節目となる。
これらの一つ一つの動作に『恋する女、待つ女』の気持ちが表現されているといえる。また、前場で恋物語をじっくり聞いて私達の心の中にも『恋する女、待つ女』のイメージがそれぞれ生まれている。「舞とは回ること」→待つ女の思いはさらに深まる。
序ノ舞のゆったりしたリズムが、楽しかった幼い日々をいとおしみ、その思い出を大切に味わおうとするシテの心情にマッチしている。
・また、静かに流れる笛の音、緊張感のある鼓の音と掛け声は音楽としての楽しみでもある。
  クライマックスへ・・・・
シテが井戸まで来て、ススキを押しのけてのぞきこみ、井戸の底の水に映る業平の冠と直衣を着けた自分自身の姿をみて「業平さまだ…!」と、ハッと息をのむ瞬間・・・・・・・ドラマティックですね!。
我が身が業平なのか、業平が我が身なのか、役者自身が区別できないくらいの陶酔の舞です。

能曲目鑑賞ポイント解説

井筒