ちょつと見だけではわかりづらい曲だと思います。ただ言えることは、この曲は歴史的にも一目おかれる存在だったようです。徳川時代の正月三日の謡初の式には、観世太夫が平伏して、「四海波」の祝言を謡ったあと、「老松」「東北」「高砂」の三曲を舞囃子の形で演奏したという、『根元の能』だと言う事です。(能百番より)
これだけでも、価値があると思いますよ!
❑「東北〔とうぼく〕」
▽見どころ
▽登場人物 <シテ> 前-里女 後-和泉式部の霊
《面》 “若女”
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東国よりきた旅僧が、都東北院の今を盛りと咲き誇る梅の木に見とれて、たたずむ。橋ガカリから遠く呼びかけてでる女(前シテ)は、「それ は“和泉式部ゆかりの梅の木である」ことを語り、そして「私はその梅の主だと」言い、夕暮れにやがて 姿を消す<中入>・・・・・・
在りし日の姿現われた和泉式部の霊<後シテ>は、和歌の徳をうたい、歌舞の菩薩となった澄んだ心を舞い、都の春を描き、浄土さながらの東北院の有様を讃美して、僧の夢から消えて行く。僧も夢から覚める。 |
「幽玄能の原点の曲」とも評価され、優雅な舞と言葉の美しい曲です。具象的な演技はほとんど影をひそめ、抽象的な型の流れの中に、幽玄の情緒が次第に密度を増していく。
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和泉式部の霊と梅の精を二重写しにして王朝の艶を描く。