この能の作者と作品背景。
・作者は不詳(一部では世阿弥とも言われている。)である。

『古今和歌集』に「古き大和舞の歌」として載る「しもとゆふ葛城山に降る雪の間なく時なくおもほゆるかな」という和歌をもとに作られた曲。
中世において葛城山は高天原・天の岩戸の古跡であると考えられ、霊場とされていた。和歌自体本来は恋の歌であったろうと考えられている。この和歌は能では葛城の神が縛られた我が身を「間なく時なく」思う歌と解釈される。

・四番目物(雑能)として取り上げられている場合が多いが、三番目物(鬘物)として紹介されている場合もある。後シテだけを見れば三番目物とも言えるが、鬘物は基本的にシテが美人でなければいけない。この能のテーマがシテの「醜い」ということなので、雑能が適切であろう。

・葛城の神が「大和舞」を舞うのは、作品の作られた中世には高間の原や天の岩戸が葛城山にあると考えられていたことに基づく。

見どころ。
・白い衣装を着た女神の大和舞がみどころの演目です。

・この能は単純な構成でありながら、少し変わった趣になっています。神が人間に仕事を命じられたり、容貌を恥じる「神」だったり、私達には逆の関係のように思われます。そして行者の末流である山伏に救われるという不思議な因縁で幕を閉じます。
古代の神話の世界では、神は人に近い存在であっのでしょう。

・降りしきる雪の中に現れる前シテの美しさ、醜い容貌といっても、美しい女神の姿で現れる後シテの逆説的な演出。幻想的といってもよい曲です。

一言主神(ひとことぬし)は男神であるが、能「葛城」では女神として描いている。人間が難癖をつけたり,罰を与える話は神であっても「女性」のか弱さがあった方が良かったのかもしれない。しかし、決して醜くは描写していません。人間的な内面の苦しみを抱きつつも、美しくゆったりとした所作の中に気品を漂わせた美しい冬の能であると言える。

《前場》

ワキ、ワキツレ登場。~お囃子は「次第」
・ワキの山伏とワキツレの同行の者が登場する。

・装束 額の被り物は頭襟(ときん)、胸には篠懸( すずかけ)・・・・山伏であることを示している。
山伏は日本古来の山岳信仰をベースに、仏教や神道、陰陽道が習合して形成 された宗教である「修験道」の実践者である。聖地は出羽の羽黒山である。

・ここでは羽黒山の山伏が葛城山へ旅をするという設定である。
「篠懸の~」・・・「道行」の謡となり、旅の様子を表している。→「葛城山に着きにけり」。

前シテ登場。
前シテである里の女がすぐに姿を出さずに幕の内から、まずは声だけで山伏達に話しかけながらの不思議な登場である。「なうなう~」
・装束 白装束の水衣、氷の紋様、背中には楚樹(しもと)と呼ばれる白い薪。
この白さが、雪がつもり、あたり一面が白い冬の世界を表していると言える。

・面は曲見(深井の場合もある)。
・山伏達を庵に案内した女は後見座へ行く(これを後見座にくつろぐと言う。)。ここで場面は庵の内となり、楚樹(しもと)という細い枝を手にとって再登場する。
ワキの前に持ち枝を置き、扇であおぐ型は、楚樹を焚いてもてなしている場面です。

そして、楚樹の謂われを教えます。
「楚樹結ふ 葛城山に降る雪は 間なく時なく思ほゆるかも」古今和歌集の一句を地謡が謡い、その後このことについてシテとワキで問答が交わされる。 

・三熱の苦しみとは、神が人間に代わって受けてくれる苦しみのこと。このことにより、女は葛城明神の化身であったことが明かされる。
三熱①焼燃熱。②極焼熱。③、遍焼熱

中入り
アイ狂言。~山の麓の者。
アイ退場

《後場》
・葛城明神が閉じ込められている岩屋の前で山伏が祈祷する。山伏が祈ると、蔦・葛で縛られた葛城の神が現れ、高天原もここであるので岩橋を架けて通おうといい、岩戸の前で神楽歌を奏して大和舞を舞い神代の昔を再現する。

後シテ登場。・・・・
・「ヒシギ」という高い音から笛が始まり、〈出端〉の囃子で葛城の女神(後シテ)が現れます。
出端 後場にだけある静寂と躍動感を交差させた登場音楽。神・鬼畜・幽霊などの非人間の役のシテ又はツレに使われる。必ず太鼓が入る。

・装束 天冠を戴き、そこに青い蔦がついている。浅黄色の長絹に紅の大口(袴)は女神の出で立ちです。胸元・袖の赤い糸は露(ツユ)と言い、装束としての装飾の役割だけでなく、袖返しの際返り易くする錘(おもり)代わりであり、バランスをとる役目を果たしている。→明神であることを端的に示している。

・面は泣き増(是閑作)。

太鼓入り序の舞・・・・・・。特殊な足使いを踏む。
「大和舞いざや奏でん」と言って、舞われる舞は格調高い序之舞。大和舞の心で。
大和舞・・・奈良地方の舞。天照への舞のひとつと言う考え方で見るのも良い。他に「羽衣」では、「駿河舞」がベースとされている。

・右袖をあしらって(おろしに入る)本来は頭にかぶるが、宝生流では天冠を考慮して、このような型になったと言われている。

・三熱の苦を免れた喜びを述べ大和舞を舞い、月も雪もすべてが白く、照り返しによって顔も白く見えるのだが、葛城の神は顔がはっきりと見えることを恥じて、橋を架けることもせず夜の明ける前に岩戸の内へ姿を隠します。
以上

能曲目鑑賞ポイント解説

葛城