能の詞章

胡蝶次第
浮き立つ雲の行くへをや。浮き立つ雲の行くへをや。風のこゝちを尋ねん。

サシ
これは頼光の御内に仕へ申す。胡蝶と申す女にて候。


さても頼光例ならず悩ませ給ふにより。典薬の頭より御薬を持ち。唯今頼光の御所へ参り候。いかに誰か御入り候。

従者詞
誰にて御座候ふぞ。

胡蝶詞
典薬の頭より御薬を持ちて。胡蝶が参りたるよし御申し候へ。

従者詞
心得申し候。御機嫌を以つて申し上げうずるにて候。

頼光サシ
こゝに消えかしこに結ぶ水の泡の。浮世に廻る身にこそありけれ。げにや人知れぬ。心は重き小夜衣の。恨みん方もなき袖を。かたしきわぶる思かな。

従者詞
いかに申し上げ候。典薬の頭より御薬を持ちて胡蝶の参られて候。

頼光詞
此方へ来れと申し候へ。

従者詞
畏つて候。此方に御参り候へ。

ツレ詞
いかに申し上げ候。典薬の頭より御薬を持ちて参りて候。御心地は何と御入り候ふぞ。

頼光詞
昨日よりも心地も弱り身も苦みて。今は期を待つばかりなり。

ツレ
いや いやそれは苦しからず。病うは苦しき習ながら。療治によりて癒る事の。例は多き世の中に。

頼光
思ひも捨てず様々に。


色を尽して夜昼の。色を尽して夜昼の
月清き。夜半とも見えず雲霧の。かゝれば曇る。心かな。


いかに頼光。御心ちは何と御座候ふぞ。

頼光
不思議やな誰とも知らぬ僧形の。深更に及んでわれを訪ふ。その名はいかにおぼつかな。

僧詞
愚の仰候ふや。悩み給ふも我がせこが。来べき宵なりさゝがにの。

頼光
くもの振舞かねてより。知らぬといふに猶近づく。姿は蜘蛛の如くなるが。

僧詞
かくるや千条の糸条に。

頼光
五体をつゞめ。


身を苦しむる。

地上歌
化生と見るよりも。化生と見るよりも。枕にありし膝丸を。抜き開きちやうと切れば。そむくる所をつゞけざまに。足もためず。薙ぎ伏せつゝ。得たりやおうとのゝしる声に。形は消えて失せにけり。/\。

僧中入 早鼓。

独武者詞
御声の高く聞え候ふ程に馳せ参じて候。何と申したる御事にて候ふぞ。

頼光詞
いしくも早く来たる者かな。近う来り候へ語つて聞かせ候ふべし。

物語
偖も夜半ばかりの頃。誰とも知らぬ僧形の来り我が心ちを問ふ。何者なるぞと尋ねしに。我がせこが来べき宵なりさゝがにの。蜘蛛の振舞かねてしるしもといふ古歌を連ね。即ち七尺ばかりの蜘蛛となつて。我に千条の糸を繰りかけしを。枕にありし膝丸にて切り伏せつるが。化生の者とてかき消すやうに失せしなり。これと申すもひとへに剣の威徳と思へば。今日より膝丸を蜘蛛切と名づくべし。なんぼう奇特なる事にてはなきか。

独武者詞
言語道断。今に始めぬ君の御威光剣の威徳。かた%\以つてめでたき御事にて候。また御太刀つけのあとを見候へば。けしからず血の流れて候。此血をたんだへ。化生の者を退治仕らうずるにて候。

頼光詞
急いで参り候へ。

独武者
畏つて候。早鼓中入。

独武者立衆一声
土も木も。我が大君の国なれば。いづくか鬼の。やどりなる。

独武者
其時独武者進み出で。彼の塚に向ひ大音あげていふやう。これは音にも聞きつらん。頼光の御内に其名を得たる独武者。いかなる天魔鬼神なりとも。命魂を断たん此塚を。


崩せや崩せ人々と。呼ばはり叫ぶ其声に。力を得たる。ばかりなり。

地ノル
下知に従ふ武士の。下知に従ふ武士の。塚を崩し石をかへせば。塚の内より火焔を放ち。水を出すといへども。大勢崩すや古塚の。怪しき岩間の陰よりも。鬼神の形は。顕れたり。

後シテ
汝知らずやわれ昔。葛城山に年を経し。土蜘蛛の精魂なり。猶君が代に障をなさんと。頼光に近づき奉れば。却つて命を断たんとや。

独武者
其時独武者進み出で。

ワキ地
其時独武者進み出でて。汝王地に住みながら。君を悩ます其天罰の。剣にあたつて。悩むのみかは。命魂を断たんと。手に手を取り組みかゝりければ。蜘蛛の精霊千条の糸を繰りためて。投げかけ/\白糸の。手足に纏り五体をつゞめて。仆れ臥してぞ見えたりける。

舞働

独武者
然りとはいへども。


然りとはいへども神国王地の恵を頼み。かの土蜘蛛を中に取りこめ大勢乱れ。かゝりければ。剣の光に。少し恐るゝ気色を便に切り伏せ少し恐るゝ気色を便に切り伏せ土蜘蛛の。首うち落し喜び勇み。都へとてこそ。帰りけれ。

■土蜘蛛 謡