■「小原御幸」の特徴と見どころ。
地謡の魅力でもって物語を切々と紐解いていく、静かな能です。 演者にとっては難しい演目であり、「楊貴妃」、「定家」と共に高貴な女性であることから‘三婦(夫)人の能’とも呼ばれています。
「舞」の要素のない曲であり、いわゆる「型」なるものは一度だけである。したがってシテの動きそのものが「舞」と同じであることから、演者の力量がそのまま反映されるといえる。舞がなくとも能が成立するということは、『小原御幸』全体が、強い訴えかけのある謡で占められているということです。
全体に「静けさ」が支配している曲であることから、「居グセ」が長時間続く状態など、他の演者(ツレ、ワキ他)もにとっても「難しい」曲であると言える。
※シテ友枝昭世・・・動きが少ないので、老女っぽくならないように注意した・・。

登場人物の横顔
①建礼門院 ・・・ 平 清盛の二女・徳子(1155~1213)。高倉天皇と結婚。安徳帝(1178~1185)の母。
②後白河法皇(1129~1192)。
③阿波ノ内侍 ・・・ 藤原 通憲(信西・後白河法皇の側近)の娘 。
④大納言ノ局 ・・・ 五条大納言・藤原 邦綱の養女・輔子、平 重衡の妻、安徳帝の乳母。
⑤万理小路(までのこうじ)中納言
※シテ・友枝昭世、法皇・梅若六郎、脇・宝生閑、内侍・狩野了一、大納言・友枝雄人に地頭は粟谷菊生。
お囃子方は笛・一噌仙幸、小鼓・北村治、大鼓・亀井忠雄という豪華な顔ぶれ。


《前場》
作り物(藁屋・・・・ここでは寂光院を表す)を中心に・・・・シテ登場。
本来ならまずワキが出てきて「しかじか・・・・」そしてシテの登場となるわけであるが、ここでは御幸の人々への告知のため、従者が登場する。これは併せて能の主人公達がいよいよ登場することを告げる役割もしている。
・観世流ではこの藁屋の中にシテだけではなくツレも含めて3人入るが、今回はシテが喜多流の友枝昭世のため一人だけ入っている。
・3人が頭にまとっている白い衣は花帽子と呼ばれるもので、ここでは初夏(5月)の山里の「緑」を表すとともに、「寂光院」の「何もない・・・」淋しさを表している。
※この花帽子は出家を表現するものです。
・ツレの左側が阿波ノ内侍、右側が大納言ノ局である。
・静寂だけが支配している現実のなかで・・・・
・主人公達は釈迦の喩えを持ち出したりして、現在の心情・立場を自分に言い聞かせるように・・・
§山里は物寂しいとはいうものの、辛い世間よりも、よほど住み良いと思っていた。しかし、現実は都からの音信も途絶えがちになり、寝ても覚めても良くない事ばかり考えて、憂鬱な気持ちにもなる。そうした姿を人に見られないだけ、気が楽というべきか・・・・。時々訪れるのは、木こりが木を切る斧の音。そして、梢に吹く嵐の音と猿の声。
・この静けさのなかで際立つ美しさ
どんなに美しい面であっても、能役者の体がそれを支えていなければ、空虚なものとなる。友枝昭世のカマエ・ハコビ等の所作が面の美しさを支えていると言っても過言ではない。
また微動だにしないツレの居グセの美しさもこの能を支えていると言える。

やがて建礼門院は山へ
・大納言と山へ向かう時に二人を贈っているお囃子は「アシライ」である。一級の囃し方と所作が私たちから遠ざかっていく・・・・余韻を感じさせている。


後白河法皇(ツレ)の登場←政治とは関係ない立場として。
・アシライから・・・・かん高い笛の音によって場面の転換(法王の登場)となる。
・ワキ役の宝生 閑(万理小路中納言)が小原までの道行きを語る。彼の小原の情景を謡う言葉等いることだけで、舞台にはっきりした焦点を作り、舞台の遠近法を生み出している。ここでは平家と法皇の関係についてはあまり詳しく語っていない。これは平家物語を知っていることを前提としているためであると思われる。
※ものすごい「存在感」であるが、じゃまになっていますか?
・阿波ノ内侍は後白河法皇の側近の娘であり、当然法王は知っているはずであるが、この場面ではあまりに変わり果ててしまっている阿波ノ内侍に気付かずに通り過ぎてしまう。


《後場》
後シテ登場・・・・建礼門院
紫の衣はこの曲の決まり(約束事)である。
・橋掛かりで「安徳天皇」を思い出し、子供を亡くした「悲しみ」を謡っている。

阿波ノ内侍より法王の御幸を知らされた建礼門院。
・移送中に義経との仲が噂されたこともあり、今後白河法皇と合えばまたスキャンダルになるかも・・・という徳子はいささかの逡巡を覚えるが、仏門に仕える今を考えて合うことを決心する。
・「舞の要素のない曲」のなかでの「型」の場面がこの橋掛かりで行われる。
・地謡とシテの掛け合い。


法王と建礼門院との出会い。
・後白河法皇は残酷な願い・・・・安徳帝の入水模様を語るように・・・「六道」をたずねようとする。
六道とは・・・。
衆生が業因により死後に赴くとされる六つの境界(道)・・・<天上、人間(善道)・修羅、畜生、飢餓、地獄(悪道)>
女院にとって、天子の生母となったことで「天上界」、西海に舟で漂い水も飲めぬ有様は「餓鬼道」、眼前で繰り広げられた戦は「修羅道」、人々の叫び声・うめく様 は「地獄界」、戦場での駒の行きかう蹄の音はさながら「畜生道」である。


六道を語り始める・・・。
※能において女性が合戦(壇ノ浦)を語ることはとても稀なことである。

平家滅亡について語るなかでの大鼓の激しい気迫、笛、シテ、地謡そして友枝の語りがそこにある。一対となつてもっとも高揚した時間が訪れる。・・・・能の高みと言える。
入水の表現は流儀によって異なるが(観世流では比較的大きな所作)、ここでは少しだけの動きだけである。
※二位殿 ・・・ 平 清盛の妻・時子(建礼門院の母)、入水する。

最後に・・・。
六道を語らせておきながら、慰めの言葉をかけることもない。知らん顔してる。一体何しにきたのか?とさえ思ってしまう。歴史の事実の目撃者としての位置付けられているのであろう。
言葉は交わさない(能に会話はない)・・・しかし・・・それぞれの心に思いがあるはず・・・能の謡い・所作等々で全ての物語は伝えられている。この間合いこそがこの能で伝えたかってことではないか・・・。
二人は歴史を共有しているんだ!!。
※「今や夢 昔は夢と迷われ いかに思えど現とぞなき」建礼門院右京太夫。
今が夢なのか昔が夢なのか、思い迷って・・・これが現実のものとは思えない。

全てが終わっても、何もかも昔のことになったとしても、子を失った悲しみと過去が徳子の涙で甦ってくるのであろう。
※小林秀雄
子供が死ぬという歴史上の大事件がいかにかけがえのないものなのか・それを保証するのは母親の悲しみだけである。
悲しみが深まれば、深まるほど子供の顔は明らかに見えてくる。

◇後白河法皇の位置付けと重さ
法皇の非情さが女院の哀れさをより鮮明に浮かび上がらせているといえる。
後白河法皇と建礼門院の間の緊張感、鬼気迫る場面です。ここを単に、幽居する嫁を慰めるために法皇がおしのびでやって来たと見るだけでは、『小原御幸』のすごさは理解できない。
この後白河法皇という、策士であり、遊び人、聞かれたくない六道の様をほじくり出す神経の持ち主、この大変な悪役を演じるには、役者としてのスケールの大きさが必要です。それに直面という難しさもあります。ある貫禄をもった役者が法皇を演じるのでなければ、『小原御幸』は成り立たない。だからこそ、この法皇の役が『小原御幸』という作品の出来をも左右する最も重要な役と考えられる。

梅若六郎の存在そのもののエネルギーはもとより、芝居・劇の領域の要素を含んだ謡に説得力ある。

能曲目鑑賞ポイント解説

大原御幸