金春禅竹とは
実名を氏信といい、観阿弥とともに活躍した金春権守(ごんのかみ)の孫である。大和猿楽四座の本家というべき円満井(えんまい)座の三十代目の棟梁であった。世阿弥の観世座は形の上では世阿弥の甥である音阿弥(元重)によって継承されたが、世阿弥の教えと芸風を忠実に継承したのはその長男の元雅と、世阿弥の娘婿の金春禅竹であった。しかし、元雅は将軍義教の迫害により早世してしまったので、世阿弥の実質の後継者は金春禅竹であったといえます。
理論的で抽象的な禅竹の思想は難解であり、現在もまだ十分に解明されていないと言われているが、儒道、仏道、神道、歌道にも造詣が深く、特に定家を尊敬して「和歌は能の命」を信条とした。
☆主な作品:「芭蕉」、「定家」、「小塩」、「雨月」、「賀茂」、「小督」、「玉葛」、「野宮」、「楊貴妃」、「松虫」、「雲林院」など。

■「定家」の特徴と見どころ。・・・・・・‘三婦(夫)人の能’の一つである。
①室町時代は無常観がぼんやりと世間を支配していた時代であった。この中で禅竹は新古今和歌集を代表する2人(尊敬する定家、高貴の代名詞である式子内親王)をとりあげ、愛・恋の辛さと永遠性を表現しょうとしているように思われる。
恋人同士であった2人が一人は死んで、ひとりは蔦鬘となっているが、このバラバラだったものを一人で演じることによって「一体化」して行く演出を通じて愛の「永遠性」を表現しようとしている。
※もっとも実際は定家は親王よりも13歳年下であり、その真実性は疑わしいが、当時の室町時代の貴族の間では「うわさ」として楽しんでいたふしがあります。全くゼロの物語でもない。
②視覚的落差を感じさせる曲である。前場の長い居グセ、後場の石塔から出てくるまでの間の動作が効果的である。
③前シテの「呼掛け」による登場、序の舞における特殊な難しい舞などから、「老女物」に準ずる位置付けとなっている。

「井筒」を下敷きにしてこの曲は作られている。
美人が悩める姿をテーマにしている点においては同じである。「井筒」は在原業平に同化し舞うが、「定家」の場合はむしろ葛藤とも受け取れる表現が主である。もっともこの決定は演者に委ねられているようであるが・・・・・

「定家」の始まりです・・・・
《前場》
ワキ登場。
・「次第」はゆっくりしたリス゜ムにのらない普通の人が登場する事をあらわす音楽である。・しかし、お囃子が重厚な音で始まるのは、この曲が老女物に匹敵する位置づけである。
・塚は石塔を表しているか゜、引き回しの幕が張られており、この場面では「見えない」状態です(約束事です)。
・ワキ僧(宝生 閑)は単なるしぐれとともに北の方からやって来た者であり、没個性(どこの?誰?)である。
・ワキツレの縦僧が2人ということも重い曲であることをあらわしている。(別に役割はない)
・ワキ登場での「山より出る北時雨~」の謡の後のゆっくり、低い地謡による2回の繰り返しは「地トリ」と呼ばれるものであるが、その意味・背景は不明である。ここでは時雨とともに北からやってきたという意味。
※晩秋から初冬にかけて晴れた夕方に急に雨(時雨)が降ると冬の訪れを告げる。ここでは寂しさもあらわしている。
・ワキによる京までの道のり。
・花の都・・・・・ここでは華やかという意味で用いられています。冬立や・・・立冬と旅立ち。

前シテ登場・・・・里女
・なうなう御僧~「呼びかけ」という形での登場
※音楽も謡もないなかで、ただひたすらに直接僧に語りかけながら登場してくる「呼びかけ」という形での登場である。・言葉を発し続けながら橋掛かりを歩いて来るのは大変な事である。
・装束は唐織着流し(江戸時代のゼカン作の上質なもので、鉄仙会で特に大事にしているものである。)であるが、地味ながら浮き出る模様等々、式子内親王の品格に合わせた美しさを表現している。
・手に数珠を持っているのは「旅の僧に何か頼みたい」ということをあらわしている。
・シテがワキに向かって話す時、ワキを見て語り、そのうちにまっすぐに向くという動作を繰り返しながら会話をしていく。これは観客に対して横ばかり向いているのは良くないという考えからであると思われる。
・このやりとりがだんだん短くなっていき、地謡の初同へと続く・・・
"※初同・・・・一曲の謡の中で、最初に地謡が謡う部分。ここの謡い方によって、曲全体の曲相(雰囲気や早さなど)が決まってしまう場合が多く、重要なパートの一つといえる。 "
里女は式子内親王のお墓に案内します。シテは石塔に向かい、ワキは3足出しを行なうことにより、しぐれの亭から石塔に到着したことを表す。
お墓には蔦葛がまとわりついています。
・式子内親王と定家の恋の物語をシテは語り始める。

●居グセ入りへ・・・・「花が咲いているように座る」観世寿夫談
・この型ではじっくりと謡を聞かせる場面である。
※今回左足を立てているが、喜多流では右膝をたてることになる。
◎シオリについて
泣き増は面そのものが強い表情である。したがって・・・シオリによって和らいで見える。むしろ優しげな雰囲気を見せている。
・百人一首が多数引用されて、恋の「辛さ」「苦しさ」「つかの間の喜び」などが語られている。今も定家を忘れていない!
#あひみての・・・ #玉の緒よ・・・・#忍ぶれど・・・・
#天津風・・・・天女のような美しい気持ちを持っているのに、会えない!という気持ち。
・穂に出で初めし契り~人に恋心を知られてしまい、二人の恋は引き裂かれてしまう。
抑えることの出来ない恋の気持ち。
・上げハ・・・・・・シテが唯一謡をする場面。★げにや嘆くとも・・・・・

居グセ終了へ・・・
・地謡とシテが交互に謡を行いながら立って正面を向くことで終了する。後ろの感覚が殆どないはず・・・・
・地謡が本来ワキが行うべきところを代弁している。
・石塔に向かって後へ・・・・シミ入るように・・・・中入りへ・・・が通常であるが、浅見さんは塚を一度離れ、僧に向かってここで一歩踏み出している。これは「助けて!」と表現しているのである。それから再度塚へ・・・・それをワキは追う・・・
★居グセという静止状態が長く続いて・・・立って歩く(動きが早く感じられる)・・・この視覚的落差が効果的である。まるで吸い寄せられるように見える。

《後場》
後シテ登場・・・・痩せ女(式子内親王)←地獄で痩せ衰えている姿。

★「習いの一声」・・・・・笛はなく、大鼓、小鼓だけの演奏である。声→姿→出てくる。
松風の物着の演奏に似ている。
後シテの登場に際して、石塔の中から声だけが聞こえる状況のなかで、音楽が奏でられる。これはぼんやりとした「存在感」を表しているといえる。
※石塔からその姿が透けて見えてくる。(引き回し幕をゆっくり後見が下げることにより表現している。)→徐々に弔いの効果が表れて、呪縛が少しづつ緩んでいる。
男女の恋・契りの儚さを表している。
・石塔の塚より出てくる。→体が自由になり、ようやく立って・・・・・
・ほろほろと解け~ お経に対しての報恩の意味からの舞。
氷がとけるように解放されていく様。

■習の手
大鼓・小鼓による舞いの前の音楽のことであり、少し思わせぶりに・・・・これから特殊な舞があるということを・・・・を暗示している。
・面なの舞の~
「はずかしい」と言いながら舞う。

■序の舞(老女物よりは軽い、しかし、普通よりは重い。老女物に準ずる)
本来のこの舞の特徴は純粋に舞の動きと演奏の美しさを堪能する時間である。一種の陶酔感である。
しかし、面は“やせ女”しかも・・・ヨロヨロしながらのハコビ(板についていない)・・・こうなければ、もう完全なる美しさの否定である。
この状態で舞うのか?と思わせてしまう。しかし・
序→掛→扇をひろげて→初段(少しスピードアップ)しかし一度失速する(笛:おろし)。その後また初段へ戻る。音楽も早くなる。→二段(扇を左手に持ち替える)→三段(再度右手に持ち替える)→面の表情に注意!(凄惨の美)
・初め「美しくない!」を提示して、その後ひとつづつ否定し、美しさを作りあげている。
もうここまでくると今までは何だったのか?と思わせられる状態だ!→しっかりした、力強い、美しい舞である。
・右袖を上げる所作は美しさの表現。
・葛城の神姿~
醜い顔をしているので、夜にしか仕事をしなかった葛城の神のように、私も恥ずかしい。
・装束・・・・・・自分自身も鬘(植物)となっている状態を表しているので、緑色である。
・石塔の周りをぐるぐる回る所作は鬘がまとわりついている様な動きを表す。
一人で蔦と親王を演じている。修羅能に近い形だある。ここでは一体化していく様を表現している。

そして終曲へ・・・・
・残り止め・・・・・余韻を残す。
定家

能曲目鑑賞ポイント解説