『熊野』(ゆや)より

能・・・・シテと、ワキ、ツレ、囃子、地謡がいるだけでありながら、情景は地謡によってより鮮明になり、「感情」や「表情」は顔の角度・手の動き・足の運び・動作のスピード等により私達の心に伝えられます。私達の頭のなかでいかようにもアレンジメントが可能であり、狭い舞台も無限の空間へと変わります。能は一見非写実的に思われがちですが、、実に写実的な演劇と言えるでしよう。

限られた舞台空間ということもありますが、本質的に大道具的な“舞台装置”を必要としないのでしょう。
山や家、船や立ち木など物語を進めるにあたって、どうしても必要と思われるものは、やむを得ず簡単なセットを使うことがあります、これが「作り物」です。
製作は昔は「作り物方」という専門職がいましたが、今はシテ方の担当です。
東国に病む母を案じつつ、花見に身をゆだね宗盛の花見の宴の道をゆく美女。清水寺への道行きは、車外の春の華やかな明るさと、車内の熊野の暗い気持ちの対比を「花見車」の作り物という象徴的空間で区切ることで、簡素な作り物であるが、大きな効果をあげているといえます。

花見車は、竹を結び合わせて作られたたものに絹を巻いて、桜見物を表現しています。

【花見車】

能の作り物