「班女」の作者・背景
・漢代の中国、班婕妤(はんしょうよ)の話が典拠となっている作品で、作者は世阿弥。「作り能」にあたる作品です。
※作り能:典拠のない創作能。
★班女:中国の歴史上の人物である班倢伃のあだ名。彼女は前漢の皇帝の寵愛を得たが、後に他の女性にその寵愛奪われ、秋には捨てられる夏の扇に自らをたとえて嘆いた詩「怨歌行」(えんかこう)を作った人物と伝えられています。以来、捨てられた女のことを秋の扇と呼ぶようになったという。この故事をもとに、離れ離れになった遠くの恋人を想い、扇を眺め暮らす花子にあだ名がつけられた。


見どころ
遊女・花子の思う人に寄せる一途な心情を、せつなく悲しく、細やかに扇にからめて表現しています。

カケリ、恋慕の舞、中の舞等全編を通して、細やかな情感のこもった謡と、狂おしい恋心を表す舞い、所作の数々が散りばめられ、実に印象的です。特別な技術を必要とするわけではなく、位もさほど重くはありませんが、表現力を問われる深みのある曲であるといえるでしょう。舞尽くしの能とも言えるでしょう。

他の狂女物とも異なり、恋人と遠く離れて逢えずにいる悲しさ、寂しさ、清らかさ……、そして最後に再び巡り逢えた喜びといった、恋する女のさまざまな情感が描かれます。
※狂女といっても、狂人ではなく、思い積めるまりに乱れた精神状態の人を指す。

≪前場≫

・場所: 美濃国野上宿

《場面設定》
アイ登場:宿の長
・宿場には、遊女たちが住んでおり、その遊女たちを統括し指導するのは宿の長者(間狂言)の役目であった。今日、彼女は一人の遊女を呼び出していた。

前シテ登場。
・「登場楽」なし
・装束: 鬘、鬘帯、唐織着流、着付・摺箔、扇
・面:小面
✤うつろな様子で歩みもゆっくり、長が急かせているのとは対照的に。その様子に長は一層もどかしがりイライラをつのらせます。
※相手をジリジリさせる歩みが必要で、見ている方もじれったく思うでしょうが、大事な演じどころです。運びが早過ぎてもダメ、その頃合いが微妙で、程の良さが必要。
※実は少将のことしか頭にないという心ここにあらずの放心状態をハコビ一足一足で表現しなければならない。

宿の長者は花子を散々に罵り、シテを残して退場します。
・「これ花子。以前、吉田の少将どのとかいう貴公子が京から下って来られた時、お前がお接待してあの方と契りを交わし、扇を交換しておったな。あの日以来、お前は四六時中扇をいじってばかり、他のお客様のお接待に行こうともしないではないか。色恋に惚けて腑抜けた奴め。お前のような役立たずは、この宿場からとっとと出てゆけ!」 長者は彼女を宿場から放り出してしまう。
花子はわが身の境遇を嘆き、どこへともなく放浪の旅に出る。

「げにやもとよりも定めなき世と言いながら。憂きふししげき河竹の。流れの身こそ悲しけれ。」
「もとより無常の世とは言いながら、遊女の身の何と頼りの無いこと。根無し草のようにあてどなく流され、今や守ってくれる人もいない。いっそこのまま、露のように消えてしまえたら、どんなに楽なことか…。」 花子は、行方も知らぬ旅路へと、ひとり彷徨い出て行くのであった。

・地謡の下歌、上歌で「悲しみに涙がこみ上げてくる。」・・・・シオリ
※下歌:必ず拍子に合い、七五調の詞章を節付けしたもので、普通2・4句の短い章。大抵「下歌」の後「上歌」が続く。
※上歌:登場人物の気持ちや感慨を述べる文が多く、10句程度の長さで、始めの2句と最後の2句が同じであることが多い。
     拍子に合わせて謡う。
・《シテ退場》
ワキ・ワキツレ登場
・登場楽:〈次第〉

※月日は流れ、季節は秋。
・ワキ(吉田の少将)と供の者(ワキツレ)が登場。

・装束:風折烏帽子(かざおりえぼし)、長絹、着付・厚板、腰帯、扇
※ワキツレはワキと同装ながら素袍上下、着付・無地熨斗目、小刀、扇。一人は太刀をもつ

鎌倉での所用を終え帰洛の道を急いでいた。その途上、少将は、以前契った花子を迎えに、野上の宿に立ち寄る。ところが、聞けば花子は既にこの宿場にはいないという。すっかり肩すかしを喰らった少将は、もしも花子が帰ってきたら都へ知らせるようにと言い置くと、都へと出発していったのだった。

≪後場≫

後シテ登場。再び会えることを神に祈る姿。
場所:京都・糺ノ森下鴨神社
・「登場楽」は「一声」

・装束:前シテと同じ装束で、唐織の右肩を脱ぎ、笹を持っている。
小書き「笹之伝」・・・狂女としての性格の強調。
・通常扇を手に持って登場するが、小書では扇を懐中し、笹を手に持って登場します。そして、途中までは笹を手にして舞う。

扇をシテが懐中していることによって、最愛の人の形見を肌身離さず大切に持っているという、少将を想う花子の心が伝わってくる演出にもなっている。
・面 :小面
🌠折しもそこへ、少将を慕うあまり狂乱した花子(後シテ)がやって来た。
・花子は、毎日この下鴨神社へ参詣しては狂乱の舞を見せている。

翔(カケリ)・・・恋慕のあまりの狂乱状態の高ぶる気持ちや、沈む気持ちを「翔り」で巧みに表現している。
・「人し知れず思いそめしか・・・・」
・「風に吹かれて舞う木の葉、そのように私の心も恋の思いに乱れゆく。いにしえ中国の班女は君の寵愛を失い、秋の扇のようにうち捨てられた身となった。今の私もそれと同じ身。あの方の形見の扇を手に触れては、独り寂しく閨(ねや)の月を眺めるばかり…。

※普通狂女物といえば、クルイと呼ばれる派手な動作が入るが、ここでは駆け回る動作を意味するカケリを入れることで、女が単に狂っているのではなく、恋慕の余りに気持ちが高ぶっているのだということをアピールしている。

ワキツレがシテに声をかけ、シテは狂いの芸を始めます。
・「夏はつる扇と秋の白露と何れが先におき臥しの~・・」から「下居」の型で地クセ「翠帳紅閨に。・・」で「居グセ」・・・そした舞へ。
※中ほどより立ち上がるが、「ハコビ」が中心である。寂莫閑のあるゆったりした動き。
・シテは恋慕の思いを胸に、謡にあわせた所作。
・笹を手放す。

中の舞→再会
・シテは恋慕の思いで〔中之舞〕を舞い、嘆きのあまり泣き伏してしまいます。
そのとき、吉田の少将は、彼女の扇を見たいと従者に命じる。従者から扇を見せるよう言われた花子は形見だからと断るが、・・・・
扇を見せ合った二人はめでたく再会し、この能が終わります。

雑感
「秋(飽き)の扇」の悲しいイメージと、反面扇は「逢う儀」と音が似ていてめでたいものとされ、再会の願いが込められている。
花子と少将が再会しハッピーエンドとなる結末が余りにもあっけなく、能舞台としての充実感が損なわれる気がします。
以上

能曲目鑑賞ポイント解説

❑「班女」