この能の作者と作品背景。

・この物語は、平家滅亡後の残党の一人としての侍大将悪七兵衛景清を描いた作品である。史実に基づいたものかどうか証拠に乏しく、作者もよくわかっていないが、史実を基にしていることは確かである。平家の遺臣として庶民の間で同情の厚かった影清を主人公に、立回りの能を作ろうとしたのであろう。

・シテの景清は「平家物語」の中だけでなく、後の文芸に「スーパーヒーロー」として景清の人物像は大きく展開を見せることになる。
景清の「スーパーヒーロー」の背景
①頼朝の命を何度も狙う。
②牢を破る。
③忍者のように霧隠れの術を使う。
この作品においても、「スーパーヒーロー」の面影を偲ばせる内容となっている。

・「悪」は「強い」「アウトロー」のニュアンスである。

・この作品の舞台は建久6年(1195)東大寺である。鎌倉幕府の成立が1192年であることから、その辺りには平家の残党がうろついていて、源頼朝の命を常に狙っているという環境であったと言える状況である。

景清を主人公にした能には外に「景清」があるが、そちらは晩年の盲目の景清を描いており、両者の雰囲気は非常に異なっている。

《前場》

・舞台は奈良春日の里である。
・合戦を控えて、景清が春日の里に住む母親に暇を請う場面であり、親子の情に涙する人物として描かれていると考えて良い。

ツレ登場。
景清の母である。面は中年の女性を表す「深井」。
「ワキ座」はそもそもワキが位置すめ場所であるが、ここでは「かたわらに住んでいる」ということも表している。

前シテ登場。

・侍大将悪七兵衛景清登場。
現在能の場合は、男の場合「直面」が一般的である。

・装束で笠をかぶっているのは「人目を忍ぶ」ということを表している。

・久しぶりに対面した母子のやり取りがある。母は老いを理由に子に面倒を見てもらいたいといい、子は宿願の仔細ある由を語って、互いに心は離れているように見えるが、そのうちに母も子の思いを察知して、気持ちよく送り出す。
・前場における親子のやりとりは「これが最後になるかもしれない」という暗黙の「別れ」の予感が舞台をつつんでいる。
前場の見どころである。

《中入り》
アイ登場。
・能力(寺男)が登場し、東大寺大仏殿が平 重平によって焼き払われたこと。それを頼朝が再興したこと。それを記念する開眼供養が行なわれる旨を述べる

《後場》
家臣団他登場。
・登場楽「一声」にのって、子方(源 頼朝)・ワキ(頼朝の臣)・ワキツレ(従者)が登場する。
ハチマキをしているのは、「武装」していることを表している。
従者は3人であるが、ここでは「大勢いる」と解釈すべき。

・ワキ・子方のそれぞれに相対して謡いの意味するもの。
頼朝の威光を高らかに謡いあげている。
・東大寺の伽藍の威容を描写することで、頼朝達の意気軒昂の有様や供養の儀式の盛大さ、晴れがましさが浮かび上がってくる感じになっている。

後シテ登場。
・春日の宮人の姿で登場。・・・・ホウキを持つなど、頼朝達の警戒心を削ごうとする姿である。
装束の下は鎧を着込んでいるという設定なので、景清の気持ちの中には「不退転の覚悟」があり、緊張感にあふれた様子で、辺りに色んな気を配っている感がある。
一人で頼朝に立ち向かおうとする景清の姿勢に、勇猛をならした人物像を照らし出そうとしたのだろう。

頼朝の首を掻く機会を狙う。そのうちに正体を名乗り、家臣たちと大立ち回りを演じる。
景清は多勢を相手に一人戦い続けることに疲れて、後日を期してひとまずは立ち退こうと、虚空に声をとどろかせながら消えていく。

以上

能曲目鑑賞ポイント解説

❑「大仏供養」