能曲目鑑賞ポイント解説

この能の作者と作品背景。

『拾遺和歌集』巻九の、「陸奥の安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」という平兼盛の歌が構想の核となっている。
作者は不明である(金春禅竹あるいは世阿弥とする説もあり)

人の心の二面性を描いた能」という解釈もある。そのような意味で、シテは、いわば誰もが持つ心の奥の秘密を暴かれたのであり、観客はむしろその鬼女に同情さえしてしまう。
人間としての側面と鬼としての側面のどちらを強調するかで、曲の趣は変化する。
・極端に言えば、人を殺した鬼が悪いのか、約束を破った人間が悪いのかということも考えさせられる。

この作品の見どころ。

①前半で永遠の孤独を嘆く女の苦しみ。人生の真理に到達したかのような女の、哲学的とさえいえるような語りは深い詩情を伴い、秋の物寂しい 風情をも醸します。ところが、約束を破られ、決して見られたくなかった閨を見られたことから、女が激しい憤りの鬼と化してしまう。そのすさまじい変化が、 寂しい陸奥の山麓という土地の雰囲気と結びついて、恐ろしさをいや増すのです。

②間狂言のコミカルな演技。これから始まる「恐怖」「恨み」と対極をなしている。

③「祈り」での鬼女と山伏達の死闘。この曲の他には「葵上」「道成寺」しかない。どちらも鬼と化した女を描いている。
この能は、「道成寺」「葵上」とともに三鬼女と呼ばれますが、ほかの二作がシテが脇に直接の恨みを持たないのに対して、この曲は、自分を裏切った人(ワキ達)に向かって、シテの老女が鬼となって襲い掛かるという、いわば復讐劇の形をとっている。

《前場》
ワキ登場

登場楽は「次第」
・諸国を廻る修行途中の者(ワキは東光坊の阿闍梨祐慶(あじゃりゆうけい)、ワキツレは同行の者他)
・熊野を出発して紀の路を通り、潮崎の浦を過ぎて錦の浜・・・さらに旅の日数も重なり、夕暮れ時に陸奥安達ケ原へ到着する。
地取りあり。

人里離れた安達ヶ原で日が暮れ、祐慶たちは遠くに見える灯りの家に、宿を乞うことにします。

前シテ登場

作り物は山伏が見つけた家を表している。
・後見が作リ物の引き回しを下ろすと、作リ物の中に安達ヶ原に住む女(前シテ)が座っています。

◇装束は紅(色)なし、面は「深井」であることから、この女性は年を経ているといえる。

・女は家の中で一人、はかない人生を嘆いているのです。(女の孤独と輪廻の苦しみ。)

・祐慶が宿を頼むと、女は見苦しい家であるからと言って一度は断りますが、扉を開き、山伏たちを中へ招き入れる。
粗末な筵を敷いただけの、袖も夜露にじっとり濡れるあばら屋である。

◎後見が「枠桛輪[わくかせわ]」の作リ物を舞台に運び出します。・・・・あくまでもこれは家の中に置かれているという設定である。
これは庵の中でいつものように夜なべ仕事を行うための女の作業道具であり、卑しい身分の女が仕事をするためのものと答える。。

その様子を見せてほしいと頼む祐慶の前で糸を繰り始めます。
・女は糸を繰り、ときに手を休めて境遇を嘆き、涙を流し、人のはかなさや六道輪廻の苦しみを嘆きます。それでも出家出来ずにいる。

クセ・・・・この曲はシテ謡がない変わった型である。
枠桛輪を回して糸を繰りつつ、「日影の糸・糸毛の車・糸桜・糸薄」といった糸尽くしを謡います(「ロンギ」)。
・源氏物語ゆかりの「五條、夕顔、加茂」ある言葉が謡いこまれている。
・都の四季の風物を織りこんで調子よく謡っていた女ですが、賤[しず]の女が繰る糸に思いを寄せると、その糸のように長く生きながらえた為に、苦しみが尽きない・・・・・と悲しむ(シオリ)

しばらくすると、女は寒くなったので、上の山へ薪をとりに行くと言い、家を出ようとします。通い慣れた道なので、待っているように・・・・
振り返り、自分が帰るまで寝室を見てはいけないと祐慶たちに言い残し、立ち去って行った

作り物の役割変更!

今まで「作り物」は女の居間を表していたが、女が橋掛かりに入ると女の寝室へと転換する。・・・・能のうまい演出のひとつである。
No.2
アイ登場・・・・・見るなと言われれば、見たくなる!

山伏達が扇をたて、頭を少し傾けている所作は「眠っている」ことを表している。

ついに寝室を覗いてしまう!
この場面までのアイの行動は、これまでの懺悔と悲しみを描いた暗い場面から狂言ならではの滑稽な演技で対比している。

夥しいほどの死骸の数を見た能力は、ワキへ報告して逃げてしまう。

ワキも寝室を覗く・・・・・・安達ケ原に棲む鬼の棲家と知り、山伏達も逃げる。

《後場》
後シテ登場

鬼女の登場を予告する囃子(早笛)。テンポがい。
早笛:笛を主に大鼓・小鼓および太鼓ではやす急調子のもの。竜神・鬼畜・猛将の亡霊などが走り出るときに用いる。

・この場合ワキはシテの登場を待ち受けるのが通常であるが、彼らは背を向けて立っている。これはこの家から離れようと必死になって逃げていることを表している。

安達ケ原の鬼女登場
・面:般若 装束:鱗箔、赤頭。・・・・山伏が約束を破ったため怒りで鬼と化している。
※般若の目より下は恐ろしさ、目より上は悲しみがただよっている。女の恨みや執心を具象化していますが、恐ろしいながらも、ただのおどろおどろしい妖怪変化ではなく、どこか人間の悲哀を残した深みのある表情が印象的です。

・なんと・・・・左手に薪を抱えている。本当に薪をとりに山へ行っていたのだ!!

鬼女と山伏の戦い・・・・・「祈り」
「祈り」はこの曲の他には「葵上」「道成寺」しかない。どちらも鬼と化した女を描いている。
・風が激しく吹き荒れ、天地に雷が響き、稲妻がはしるなか、鬼女が襲い掛かる。
◎打ち杖・・・・先端がT字型になっている。杖と言っても、突くためではなく相手を威嚇するもので、武器に近く、鬼女の霊力の源となっている。
○本舞台と橋掛かりを使った演技は安達ケ原の広がりを見せてくれている.。

鬼女の退散
・祐慶たちは踏みとどまって五大尊王に祈り調伏すると、とうとう祈り伏せられて、黒塚に隠れ棲んでいたのに、暴かれてわが姿よと一声、夜風の音に紛れて姿を消した。退散しただけである。

最後に・・・・
この女は、山伏達を食おうと思っていたわけではありません。乞われるままに宿を貸し、糸紡ぎも見せ、夜中に寒いからと、薪を裏山へ取りにいくような親切な女である。祐慶達に日ごろの悩みを打ち明け、悟りを得て成仏したいという気持ちが本心としてある。
決して喜んでこのようなことをしているのではなく、罪深いことと知りながら、悪の誘惑に負けて罪を犯し続けているという自分の運命に苦しむ鬼、鬼の人間性が垣間見える。
人間の心に潜む悪の部分に鬼という形を与え、この能は面白い迫り方で人間の本性について突きつけてくる。
以上
❑「黒塚」