「石橋」の特徴と見どころ。

①絢爛豪華な舞(獅子舞)

※面を付けて視界が狭くなっている中での動きは、渾身の演技が必要とされ、技術的にも体力的にも難曲である。
※この能はもはや舞の域を出て、獅子そのものである。
※獅子舞は特殊な型、動きや表現力が要求される重い習い事である。この曲は披き物の能のひとつとなっています。


②お囃子による勢いの良さ、勇壮、かつ豪華さの表現。
1.獅子の登場楽「乱序」は獅子の舞の前奏曲でもある。
※「乱序」・・・・・獅子の登場に際して小鼓、大鼓、太鼓が重厚華麗に囃し、笛が和す。

2.乱序の中盤で演奏される小鼓、太鼓で奏される「露ノ手(露ノ拍子)」という長い静寂が伴う独特の囃子を奏する。

③能を知らない人でもシンプルに楽しめる曲である。かつては海外の賓客をもてなす演能でも舞われた。

ワキ登場

日本から清涼山にやって来たワキの寂照法師(じゃくじょうほっし)の名のり。
※舞台の上には紅白の牡丹の花が付いた一畳台が3つ(流儀によっては 2つ)並べられ、この台にかけてある布(「台かけ」と言う)の色は、たいてい朱色の派手なものが使われていますが、大変華やかになります。

後シテ登場~文殊菩薩の使者である獅子の登場。

「乱序」と言われる登場楽が奏でられる。

「半幕」の意味するもの
・橋が架かりの奥の揚幕が上に半分ほど揚げられ、足だけが見える。
※山に霧が立ち込めて橋の向こうに立っている後シテ(獅子が)ぼんやりして見える表現をする為と、これからの展開の期待感を高める効果を出している

半幕」がおろされると、長い沈黙(無音の空間です)の中、太鼓と小鼓だけの演奏が始まる。
※「露ノ手(露ノ拍子)」といい、深山幽谷に「露」がおちるかすかな響きの描写がされる。

「乱序」の終了とともに一転して、勇壮な音楽に導かれて、後シテ・獅子が現れます。橋掛かりで一回止まって、欄干に足を掛け、舞台に入る。
※白頭を着けた親獅子と赤頭の子獅子といった設定で、白はどっしりと、赤は敏捷に舞うことで、対照の妙がたのしめます。

☆もはや舞の域を出て、獅子そのものである。「狂い」と呼ばれる部分である。
咲き乱れた牡丹の花と戯れて舞台の上で前廻りをしたり、一畳台の上で飛び上がって360度縦に廻ってみせたり、勇壮な舞いを見せ、泰平の御代のめでたさを舞い収めると、獅子の座に帰ります。ダイナミックな動きで、他の能には用いられない特殊な型の連続です。

「狂ヒ」が終わり、地謡が「獅子団乱旋(ししとらでん)の舞楽の砌(みぎん)」と謡い出し、豪快に締めくくられます。

参考・・・【前場】の謡・・・・今回はありません。
前場は、大変静かで、後場へのエネルギーを溜め込んでいる感じです。

地謡・・・うわの空なる石の橋。うわの空なる石の橋。まづ御覧ぜよ橋もとに、歩み臨めばこの橋の。面は尺にも足らずして。下は泥梨も白波の。虚空を渡る如くなり。危しや目もくれ、心も、消え消えとなりにけり。おぼろけの行人は、思いもよらぬ御事。

ワキ・・・なおなお橋の謂れ懇ろに、御物語り候へ。

地謡・・・それ天地開闢のこの方。雨露を降して国土を渡る。これ即ち天の、浮橋ともいえり。

シテ・・・・
その外国土世界に於て、橋の名所さまざまにして。地謡「水波の難を遁れ。萬民富める世を渡るも。即ち橋の徳とかや。
然るにこの、石橋と申すは。人間の、渡せる橋にあらず。おのれと出現して、つづける石の橋なれば石橋と名を名づけ
たり。その面わづかに、尺よりは狭うして、苔はなはだ滑かなり。その長さ三丈余。谷のそくばく深き事、千丈余に及べり。

上には瀧の糸、雲より懸りて。下は泥梨も白波の、音は嵐に響き合いて。山河震動し、雨つちくれを動かせり。橋の気色を
見渡せば。雲に聳ゆる粧いの。たとえば夕陽の雨の後に虹をなせる姿、又弓を引ける形なり。
遙かに臨んで谷を見れば。

地謡・・・足すさましく肝消え、進んで渡る人もなし。神変仏力にあらずは、誰かこの橋を渡るべき。向いは文殊の浄土にて、
常に笙歌の花降りて。笙笛琴箜篌、夕日の雲に聞え来。目前の奇特あらたなり。暫く待たせ給えや。影向の時節も、今幾
程によも過ぎじ。

能曲目鑑賞ポイント解説

❑「石橋」