■この能の作者と作品背景。
この能は、金春禅竹の作かともいわれているが、「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」巻二の説話などを素材として作られたものである。幽玄というよりは、祝祭的な雰囲気が強い。そのことから、世阿弥以前に成立した古能ではないかと思われる。
春日神社を賛嘆する能であるだけに、初心者向きではあるが大変格調の高い能である。
明恵上人は鎌倉時代の高僧で、栄西から茶種を譲り受け、それを広めたことで有名である。実際に入唐渡天を計画したことがあり、それを思いとどまった経緯などについて、古今著聞集に言及があるところから、この話は広く行き渡っていたのだろうと推測される。
この能の古名は「明恵上人」である。
●春日明神の奇特の説明や竜神の神遊びなどを通して、日本における仏法の隆盛ぶりを伝えることがこの能の趣旨である。
■この作品の見どころ。
・テンポのいい展開と雄大な謡
・後場の舞の部分では、まづツレの竜女(2人)が登場して、「相舞」を舞い次にシテの舞がある。
・舞働。
《前場》
■ワキ登場
・ヒシギの笛から登場楽「次第」でワキ「明恵上人」(1173~1232)が従僧を伴い登場する。
※次第囃子
大鼓、小鼓中心が中心で、笛はあしらい。役柄・曲趣などによってテンポや雰囲気を変えて演奏される。※老人・神仏・霊・鬼などには用いない。この後謡も次第が続く。
装束:角(すん)帽子.熨斗目.水衣.白大口.腰帯.扇.数珠・・・・相当に位の高い高僧であるが、特に重からず、落ち着きを持って謡う。
次第・謡で「入唐」の志を謡い、「名宣」にて春日明神へ暇乞いに参詣する由を述べ、南都春日の里までを「道行」に謡う。
■ツレ・前シテ登場
・登場楽「一声」でツレ「宮守」、シテ「宮守の翁」が登場する。神職のいでたち。
・装束:翁烏帽子.尉髪.小格子厚板の着付け.縷狩衣(両肩を上げる).腰帯.白大口.扇.萩箒(はぎぼうき)を手に持っている。
・面:シテ 小尉、ツレ 直面
シテは常座にてヒラキをして大小鼓のコイ合を聞いて「一セイ」を上げます。
※「一セイ」は古来「謡う」とは言わず「上げる」と言い習わしていました。
・一セイの謡から上歌で神徳を讃えている。
・シテが謡に合わせて、右ウケ、二三足ツメ、正面という所作を何回か繰り返すが、謡とともにこれにより春日の社頭の厳かな情景が醸し出されている。
・ワキが上歌のトメに立ち上がって「いかにこれなる宮っ子に~」と言葉をかけていることから、シテの人相に覚えがなく、春日大社の社域で箒を持っているこのシテを誰とも知らぬまま明神に仕える社人と思っている。シテが即座に「や これは栂(とが)の尾の明恵上人~」と応えます。四季折々に参詣する高僧とは言え、唐突な感じがします。しかし、この場合の宮守は上人の参詣をすでに予知した神の使いとして表れているのであり、待ちかねた心がそれとなくこの謡からうかがわれます。
※謡の呼吸が大事である。
上歌の終わりにシテは正中・ツレは角に行って、それからワキとの問答になるのは脇能を意識した演出ですね。
・シテは上人の入唐渡天の志をひるがえさせようと、心を込めて説得する。
※シテは問答に応じてワキにあしらうのみで、特に型はない。
■地謡:初同とシテの型
・地謡の「初同」では、明恵がはじめて春日大社を参詣に訪れたときに起きたことを謡っている。上人の尊さを称え、その上人に反省を求めるところなので、サラリとは謡わない。
地謡も前後で印象が変わるように謡う「かほどの奇特を見ながらも」からはテンポを上げて、シテがワキを諫める、という風情となります。
植物である草木がこうべを垂れる様と、動物である鹿との動作の違いがこの地謡に表されている
風も吹かぬに枝を垂れ。(右ウケと正面へ少し出)
春日山。野辺に朝立つ鹿までも(と正面へヒラキ)。
皆悉く出で向かひ(と右ウケ・三足出して鹿の群れを見る心で前を見る)。
膝を折り角を傾け(とワキへ向き)。
上人を礼拝する(ヒラキながら、鹿が行なったように明恵へ礼拝する心で)。
まことの浄土はいづくぞと。角へ出て「角トリ」
春日明神が明恵を「太郎」、解脱上人を「次郎」と呼んでいますが、これは「太郎」=「長男」、「次郎」=「次男」という意味でしょう。二人の求道者を神は我が子のように思っていたのです。
■もはや我が国こそ仏法の聖地である。
・ワキ詞「なほなほ当社の御事詳しく御物語り候へ」
・座したまま正面に向き、箒を右に置き、左腰から扇を抜くとそれを右手に持ちます。どっかりと腰を落ち着けて物語る姿勢です。
◎宮守から神の使いへ・・・・・
二人の後見が出てきて、シテの両肩を下ろします。シテの縷狩衣の両袖は肩に上げられているのですが、これは箒を持って神域を清めるという「作業」「労働」 をシテがしていたことを表します。ここでシテが肩を下ろすのは、「作業」から「物語」へと場面が変化した事を表わしています。言い換えれば、単なる宮守から、神の使いにふさわしい位に整えるためである。シテの神性を、狩衣の袖を下ろ す、という単純な演出だけで表現しようとしている。
「しかるに入唐渡天と言つぱ。仏法流布の名を留めし。」・・・・・
天台山 比叡山
五台山 吉野筑波
霊鷲山 春日山
釈迦牟尼仏 春日大明神
鹿野苑 春日の里
■宮守の正体
「我は時風秀行(トキフウ ヒデユキ)ぞとてかき消すやうに失せにけり。かき消すやうに失せにけり」と名を明かして姿を消します。
※「時風」「秀行」は中臣時風、おなじく中臣秀行の事であり、それぞれ別人であったことが、歴史上は明らかである。今回の小書きでは、ツレが登場しているが、このことを多分に意識したものと思われる。
※金剛流だけは「トキカゼ ヒデユキ」となっている。
実演上では静かに立ち上がったシテ はワキへ向き、「暫く此処に待ち給へ」と二足ツメ、それより静かに右へ廻り、角の方へ行き、「かきけすやうに」から地謡が突然位を速めて謡うときにシテも 歩速を速め、角から常座へ行き、ここで小廻り、正面に向いたところで地謡は位を緩めて謡い、シテは正面へヒラキ、静かに右に取って幕へ引きます。地謡が位 を進めるところではシテはそのタイミングを計って、角に到着するほんの二~三足だけ前からイキナリ歩速を速める
《後場》
■ツレ登場(竜女)
・出端の囃子で竜女登場。
・リズミカルな囃子に乗って、優美でありながら力強く、揺るぎのないしなやかな舞である。
・小書き特殊演出のためツレによる三段の舞(相舞)。橋掛かりと本舞台。
■後シテ登場
・登場楽は太鼓の打ち出しによって始まる颯爽として躍動感に溢れた「早笛」です。
・竜神であり、春日の守護神である。
・装束:龍台.紅入厚板.法被(右袖ぬく).半切.腰帯.扇.打杖
後シテは一人で登場したのではなく、これら八大龍王が大勢登場しているのです。後シテはその象徴として一人だけが舞台に現れています。しかも「百千眷属引き連れ引き連れ」となっているから、実際には千匹の龍がここに登場しているのです
※八大龍王や百千の眷属を従えている様子は地謡とシテ謡の掛け合いによって表現されています。
●〈舞働
一同の釈迦を取り囲んで説法を聴聞する様を表す型・龍神の躍動 感を表現する
■春日龍神のナゾ
①前シテが後シテ龍神の化身ではない。
②シテは「時風秀行」という二人の人間であるが、一人として表されている。
③曲名からすれば後場で龍神が登場することに違和感はないが、前場の内容からすれば、龍神が登場する必然性はない。
■最後に・・・・
明恵の前で奇跡を起こすのは、じつは前シテの時風・秀行ではなく、後シテの龍神でもなく、春日明神です。この能は明恵と春日明神との対話で進行している能であって、時風・秀行も、八大龍王も、明神のメッセンジャー であり、明神が示した釈迦の説法の場の再現の場面では、どちらも明恵と並んでその享受者だといえる。この能の主人公は春日明神であ り、その神威を舞台の上で示すことが切能としての『春日龍神』のテーマだと考えられます。『春日龍神』は「主人公が登場しない能」だと言える
作者があえて龍神を取り上げたのは、明恵の前に突然繰り広げられるスペクタクルの興奮や、釈迦の誕生から入滅までの釈迦の一生をまるで早送りのように見せるスピード感を表現するために、きびきびと動く龍神は最も適した配役だったのでしょう。
以上
❑春日竜神