■この能の作者と作品背景。
観阿弥の傑作といわれる作品である。劇的な展開とシテの芸づくしが特徴の作品である。但し、現在の作品は世阿弥が幽玄な趣より、荒々しい雰囲気を尊重し、改作したものである。自然居士は喝食姿で登場します。この喝食というのは年のころは12・3才~17・8才で禅寺で食事の世話をする稚児の事である。しかし、現在では血気溢れる青年僧で演じられています。
自然居士は、和泉国自然田村の人で、出身の地名から自然居士と称しました。1300年頃、鎌倉時代中期に活躍した在家の宗教家でした。「日本名僧伝」に自然居士は南襌寺開山、大明国師の弟子で雲居寺、法城寺の両寺に住んだと短い記述があります。ただし、この能の自然居士と同一人物かどうかわからないといいます。
自然居士は成年になっても髪をおろさず、喝食姿のまま、しかも舞や歌などを用いて説教を行ったと伝えられています。仏教者の側から見ると、掟破りのような感じですが、民衆には人気があったのでしょう。観阿弥は、この異様ながら庶民の人気者を清々しい少年僧に仕立て上げました。そして観阿弥自身がこの稚児の少年僧の姿を、大人の自分が演じて見せたのです。
★単なる仏教者として描くのではなく、①優れた話芸で人々に説法をする。②舞を舞ったり、鼓を打ったりすることもある芸能者としての性格を強く打ち出している。
※観阿弥が扮する「自然居士」の舞台を観て、時の将軍・義満が世阿弥に言った言葉を世阿弥はその著書の中で書き残しています。
「一六、七の人体に見えし・・・」』 <風姿花伝>
一二、三ばかりに見ゆ・・・』 <申楽談義>
※居士とは、現在は死者の戒名ですが、当時は在家で仏道修行する男子のことを表しており、半分僧侶、半分俗人である。
■この作品の見どころ。
①登場人物は善と悪との対比がはっきりしてわかりやすく、場面もセリフを中心にしながら、テンポよく切り替えて行く構成の作品となっている。
②シテ自然居士の説教の場の「静」から、大津、松本での人買いとの交渉、舞尽くしへと次第に「動」へ転じていくさまはまさに「序破急」です。「簓(ササラ)の段」は、段々と早く舞うものだといい、人商人が心変わりしないうちに逃げ帰るということを表している。
③芸づくしの見せ場
イ.中の舞
ロ.曲舞
ハ.ささらの段
ニ.鞨鼓の舞・・・・能の舞事(まいごと)の一。羯鼓の作り物を胸下に 付けて打ちつつ軽快なリズムで舞うもの。
■ワキ・ワキツレ登場。・・・場所は雲居寺
・人商人が子供を連れて帰る為、名宣笛で登場する。
■アイ登場。雲居寺門前の者
自然居士が雲居寺造営のため七日間の説法を行っていること、今日が結願の日であると告げ、皆々参集するように呼びかけている。
■シテ登場。・・・・登場の囃子もなく、アイに語りかけながら登場します。
雲居寺造営の説法を行う為に登場。見所の観客を説法の聴衆に見立て、観客はいつのまにかエキストラに動員されてしまう。
装束:袈裟、黒水衣、左手に数珠、髪は伸ばし後ろで束ねている。・・・・元服前の童をあらわしている。また、通常の僧侶ではない様を表している。
面:喝食
■子方登場。
☆上演する流派によって設定が異なっている。
・金剛流では子方は「幼児」というだけで、特に年令、性別は決まっていない。流派によっては、14才~15才の女性というようになっている場合がある。
・諷誦(ふじゅ)文と小袖を持って登場。
※諷誦(ふじゅ)文・・・・僧侶にお経を読んでもらう為に作られた文章で、読経の目的や供え物なとどについて書かれている。
・小袖は、亡き両親を供養するために自分の身を売って手に入れたものであり、「供え物」として持参したものである。
No.2
●ワキ、ワキツレ(人商人)再度登場
人商人たちが現れて、子供を引き立てていく。狂言が止めようとするが、商人たちは用があるといって、強引に連れて行く。
・ただならぬ気配にアイは止めようとするが、彼らが「人商人」であることを知らないので、ワキに「用がある!」とすごまれると引き止められない。この状況を自然居士へ報告する。
子供が連れ去られたと聞いた自然居士は、彼らが「人商人」であることを見抜き、このままではせっかく説法をあげてやった甲斐もなくなると、子供を取り戻すことを決意する。門前の者はこのままでは今までの説法が無になってしまうと言うが、そもそも善悪の二つを弁えるためのものと言い、恐らく商人たちは大津の浜から船に乗るはずだから、急いで追いかければ追いつかぬことはあるまい。居士は衣を持って彼らの後を追いかける。
☆自然居士に、満願の説法会を中止してまで子供の救出を決意させたのは、子供の深い信仰心であったと言える。中世の人々の信仰心の強さが、この子供に凝縮されています。
◆場面は変わって、びわ湖畔。・・・・絶妙な場面転換。
自然居士が子供を救出しようと橋掛かりに向かい、欄干から身を乗り出し舞台に向かい呼びかけると、舞台は広々とした琵琶湖です。
商人たちは、大津の浜からいままさに船を出そうとしているところだった。その船に向かって居士は大声で呼びかける。
呼びかけられた商人たちは、この船は渡し船ではないといいつつ、漕ぎ出すところを、居士は水の中に入って船に飛びつこうとする。子供が生きていることを確かめると、自然居士はあらためて子供を返すようにせまる。
驚いた商人たちは、こんなことになったのもお前のせいだと、子供を散々に打つが、子供は声一つたてたない。縛り上げられた上に、猿轡をはめられているからだ。
商人と居士との間で問答が繰り広げられる。商人は、買ったものを返すわけにはいかぬといい、居士は、それなら自分もお前たちと一緒に陸奥まで行くまでだと返す。商人たちは居士の命をとるぞと脅かすが、居士はひるむ様子を見せない。
・人商人は自然居士の命をかけた説得に折れ、子供を返そうとするが、それでは治まらないので居士に舞を舞わせる事にした。
※居士は僧なので、仏罰を恐れたのかもしれない。
■物着
烏帽子を着けるだけならば、幕に入る事はなく舞台上で済ませることになる。いずれにしろ場面の転換である。
《シテの芸づくしの見せ場》
★ここからは単なる仏教者として描くのではなく、・・・・・・舞を舞ったり、鼓を打ったりすることもある芸能者としての性格を強く打ち出している部分の始まりである。
イ.中の舞・・・・速からず遅からず中くらいの速さで・・・二段目オロシはない。
・ここではかなり省略されてシンプルになっている。→人商人が、あまりに短くて物足りないという。
ロ.曲舞
・舟の由来について述べる。謡はクセ。
ハ.ささらの段・・・・ささらのおこりを物語る。
■物着
さらに「鞨鼓の舞」を求めるたび重なる人商人の所望により、今度は「鞨鼓」を着ける。
ニ.鞨鼓の舞・・・・能の舞事(まいごと)の一。羯鼓の作り物を胸下に 付けて打ちつつ軽快なリズムで舞うもの。
以上
❑自然居士