世阿弥の残した言葉@
「初心忘るべからず」・・・世阿弥の言葉の中でも最も有名な名言です。
現代では「物事を始めたときの気持ちを忘れるな」という意味で使われることが多いようですが、世阿弥の説く「初心」は、芸の道に入って修行を積んでいる段 階での未熟さのことです。
しかも、芸能者として未熟な年齢の者だけにあるのではなく、各年齢に相応しい芸を修得した者にもあり、幾度も積み重ねられるもの です。
一生涯積み重ねてきた「初心」を忘れないために稽古を貫くこと、そしてそれを子孫に伝えていくことが世阿弥の「初心」論なのです。
「今で満足してい る心」とか、「小成」で満足している自分がそこにあったなら、常に戒め続けたいものです。
世阿弥の残した言葉A
「稽古は強かれ、情識はなかれ、となり。」
※情識とは、頑なな心のことです。
稽古とは、ただ練習することだけを指すものではなく、日常の全てを稽古と心得ることが大事だと説き、「昔はこうやった」ということに固執し過ぎることを戒めています。
世阿弥は著書で「昔はかくとばかり思うべからず」と説いています。
世阿弥は、「挑戦者、改革者」であったと思います。オリジナルを守るのではなく、その時々に観客が望むものに柔軟に応えて言葉を変え、曲を改めてきまし た。
だから650年以上経った今でも、人々に親しまれ続けています。
能だけでなく、自分の人生においては、「どんなものも完成された瞬間から腐り始めてい る」との観点から、「今で満足しない」姿勢を持ち続けたいと思っています。
世阿弥の残した言葉B
「離見(りけん)の見にて見るところは、すなわち、見所同心の見なり」
「離見」とは自分自身から離れた視点を持つこと。つまり離見の見で見るということは、すなわち観客と同じ心で見るということである。それによって自分自身 から距離をとり、客観的な視点を手に入れる。
加えて、肉眼では捉えることのできない姿を「心の眼」で見ることが必要だとも説いています。
世阿弥の残した言葉C
「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人となす。」
芸の家とは、家が続いているから芸の家ではない。芸を継承しているから。芸の家である。その家の者だから芸の継承者とは言えない。その芸を理解している人 が芸の家の人なのである。
芸道では、その芸を後継者に伝えていいくことも極めて重要です。世阿弥は、たとえ一人しかいない子であっても、実力のない者には その大事を伝えることはない、と実力主義を主張しています。
これは今日の事業継承問題にもそのまま当てはまるのではないでしようか?
世阿弥の残した言葉D
「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。
これは世阿弥が40代の頃、記した訓戒です。
「時分の花」とは、稚児や少年の時代に咲かせる花を表現したもので、それは美声、美貌、柔軟な身体等々、若い肉体から生まれるものです。
それはほんの一時だけの美しさであり、いずれ散っていくものです。ところが少年の役者がこの「時分の花」が咲き誇っている時に得た人々の賞賛を真に受けて、自分が名人のレベルに達していると勘違いしてしまうと、そこで役者としての寿命は尽きてしまいます。
世阿弥はこれを戒め、そうした外見的な花よりも「まことの花」を咲かせていくこ、すなわち真の芸の魅力を追求していかなければならないと説いています。日々の鍛練や工夫を怠ることなく、努力を積み重ねていかなければ、本物の美しい花は開かないと戒めているのです。
自分の花を咲かせるためには、与えられた能力や置かれた環境を可能なかぎり生かし、為すべきことに、しなやかに、かつ一生懸命取り組んでいくことが大事なのではないでしょうか。
世阿弥は八十余年の生涯で21部の「芸術論」を書き残しています。。