見どころ。

一般庶民の女性の現実的な「嫉妬」「怒り」「悲しみ」がストレートに表現されている。
女の嫉妬をじかに描いている能と言えば『葵上』が類曲ということになりますが、曲趣はまるで違います。むしろ正反対といえます。『葵上』のシテは六条の御息所という高貴な女性ですが、『鉄輪』の方は名もない市井の女ですから、古典的な匂いはほとんどありません。
したがってその表現は生々しく現実的で、鋭い直接的演技をもって女の嫉妬そのものを強烈に描写します。
恋の焔に燃えさかる女には、もはやなんの羞恥もありません。ただ、鬼気迫るものあるのみです。ここまで徹底した作品は他にはありませんが、品位を好む能の中にありながら、たびたび演じられるのは、人間の心の奥底にふれる快さを喚起させるからかもしれません。
どこまでも物凄く、強く、烈しく演じられなければいれません。切れ味の鋭い演技のみが、全てを『決定づける』・・・・といっても過言ではないでしょう。
中入りの段が最高の見せ場。

《前場》~場面は貴船神社

・登場楽としての「囃子」はありません。
狂言方登場・・・・貴船神社神職。
狂言口開け・・神職が登場し、丑の刻詣でをする女に貴船明神からのお告げがあり、それを今夜女に伝えるという。
貴船神社・・・・当初は「水の神」であったが、諸々の願いを叶える神として信仰されている。

前シテ登場
・次第・・・・・小鼓・大鼓に時々笛があしらう囃子で、これからの女の登場を予感させる雰囲気を出している。
§一方でこの「静寂」は、深夜に一人で暗く、長い道をたどって来る女の「寂しさ」「執念深さ」をも表している。

§シテの内面の感情・・・・捨てられた夫に復讐する為に「鬼」になりたい!と願い、そして夫を「殺す!」という感情を抱いている訳であるが、この雰囲気から皆さんはどれだけ感じとれるだろうか?
・装束・・・・格式としては高くない。庶民の女性である。笠をつけ旅姿であることから、遠い道のりであることがうかがえる。
縫い箔・・・・・水ノイメージにあわせて装束を選択?している。
・シテが登場し、「次第」を謡う(日も数そひて恋衣~)。一人の謡の場合は、観客に背を向けて行う。
別段のことはないのですが、その歩み、謡の中に、なにか込められたものがあって、観る者に感じられなければなりません。

地謡による「地トリ」
・鉄輪の恐ろしさを増幅する効果もある。
・道行・・・をあげ、具体的にしている。

・「サシコエ」では謡に思いの深さをほのめかし、「下歌」で丑の刻詣をする決意を・・・・そして「上歌」では貴船神社までの道のりを闇の中に沈んだ景色・・・「糺す」「御菩薩池」「鞍馬川」・・・・が具体的に謡われている。なにやら凄まじさが伝わってくる。
本舞台までの歩みは長い道のりを表している。

場面は深夜の神社となり・・・・
・本舞台中央で貴船明神を前にしてひざまづく。
・アイとシテの問答の後、場面は一気に「殺気を帯びた」「恐ろしい」雰囲気へと急変する。
アイはシテに向かって夢のお告げを伝える・・・・鬼になりたければ、赤き衣を着、顔を赤く塗り、頭には鉄輪を戴いて、三つの足に火を灯し、内には怒る心を持て・・・・・と・・・。
この中入りの段こそ最大の見せ所です。
『立つや黒雲の』~
幕へ走り込む殺気を帯びた所作は見所の一つ。地謡も強吟による急テンポの謡で、緊迫感を盛り上げる。
☆笠を投げ捨てる→人間の心を捨てた瞬間である。この時復讐を決意。

中入りへ・・・・

《後場》

・女の夫登場・・・・場面は男の住む場所
・揚幕の向こうが阿部清明宅を表している。

ワキ(阿部清明)登場
・女の恨みを深く被った男の雰囲気から、今夜限りの命であることを判じる。
・「転じ替え~」・・・・・一種の身代わりのための人形を作り、夫と後妻の災いを移し変える。
・一畳台(祈祷台)の作り物が出される。これにより場面は男の邸宅へと変わる。
・祭壇が運ばれる。これに載せられた烏帽子と鬘が、それぞれ男と後妻の人形を象徴する。
もっとも人形は「人尺」と言われているので、等身大であるが、上記で全て表現している。

囃子はノット
ノツトは祈祷などの場面で用いられるもので、小鼓が「ウッポ ウッポ」というように、低い音と高い音を交互に繰り返す演奏を行うのが特徴であり、呪術的雰囲気を盛り上げている。

ワキの祈祷が始まる。
・諸神、諸仏、諸々の如来、菩薩、明王、天童など、ありとあらゆる聖なる物に祈りを捧げる。
・九曜、七星など星の数々を勘定するのは、占星術を司る「陰陽師」らしいところが表れている。

★台から降りて笛座に位置しますが、このワキの力が終曲まで舞台一面に充満していなければ、生霊の調伏せられ
てゆく情景が生きてきません。
※本来清明は、祈祷を同じ場所で続けている訳であるが、シテ登場とともに「鬼の演出」際立たせるため、引き下がっている。
☆地謡がこれからの悪天候を謡う→何か恐ろしい事が起こる前ぶれである。

後シテ登場

出端(3節構成)
後場にだけある静寂と躍動感を交差させた登場音楽。神・鬼畜・幽霊などの非人間の役のシテ又はツレに使われる。必ず太鼓が入る。

・シテは貴船神社のお告げ通りの姿で現れる(「鬼」と化している)。
この姿(顔を赤く塗り、赤い衣を着て)・・・・この形相・・・・さらに長鬘の上には鉄輪を載せて、その三本の足には火が灯されているといったさまは、最高にどぎつく、異様そのものというほかありません。
鬘帯と腰帯の「ウロコ紋様」は、女の邪悪な心を表している。
★「鉄輪」は本来鉄でできているので、かなり重い!・・・それを頭に・・・・女の怒りがいかに凄まじいまのか・・・・。

・一の松に立ち、執念の程をもらして鬼となれる我が姿を示し、やがて・・・・舞台へ・・・・女の心情に哀れを催す一場面があり、恋情と怨情の間に迷いつつ、意を決して・・・取り殺す心で・・・いよいよ実行へ・・・・・

シオリは「恨み」とともに、「悲しみ」にも打ちひしがれていることを表している。女の心情に哀れを催す一場面である。

・キリでは憎んでも憎み足らぬ夫と後妻に対して、強く烈しく迫ります。ついに命を取ろうとしたそり時・・・・・思いもよらず三十番神に遮られて果たし得ない、その口惜しさの描写もまた鮮やかです。
所詮はその恨みも「人形」に向けられているので、願いは叶わない。この場面が恐ろしければ、恐ろしいほど、清明の術にはまったことになるのである。

それでも感情は発散されているはず・・・・能の表現力である。

最後に・・・・・・
決してハッピイエンドではない、むしろ再来を告げて去るという凄まじい終曲といえるでしょう。
以上

能曲目鑑賞ポイント解説

鉄輪