この能の作者と作品背景。

世阿弥の比較的若い頃の作品である。主人公の源 融は嵯峨天皇の息子(12男)であるが、源氏の姓を賜り左大臣まで昇進した。藤原良房・基経との政権争いに敗れて、六条河原に大邸宅を造営し、そこで汐を汲ませ汐を焼かせるなど余生を風雅のうちに過ごした。中世においては、「光源氏」のモデルとも考えられていた。
895年に74才でこの世を去るが、死ぬまで「皇位」に対する執着心が強く、死後も幽霊となって現れたとの記述が「今昔物語」にある。当然死後「河原の院」は荒廃していく。
融の大臣は、河原院にとりつく怨霊、鬼のイメージがあったようですが、この能では、風雅を愛した人物像に焦点を当て、月の都に住まう貴人という幻想的な融の姿を創りだしています。

この作品の見どころ。
①老人とワキの問答(特に回想の部分)現か夢か?
②名所教
③汐汲。特に今回は屋外であり、希少価値物です。
④早舞。

《前場》

ワキ登場。小書「思立之出」で登場。

・「思ひ立つ心ぞ~」と謡いながら登場する。常は「名宜笛」で登場する仕方が一般的であるが、ここでは「道中」という感じを強調させるため、一の松に止まり、名のりを行う登場の仕方となっている。

今合返(コンゴウガエシ)の囃子。
・次に上歌「夕を重ね朝毎の~」の時、大小の鼓は「今合返」という手を打つので、通常は繰り返し謡うが、ここでは上の句を省略して下の句のみを謡っている。

・着流姿の旅僧であるが、いわゆる修行僧ではなく、もっぱら風雅を旨としている。従って都に着いても寺には行かない。
☆この時点で能舞台の周りは海水が入り始める・・・・

シテ登場。

囃子「一声」にて汐汲の尉が登場する。
「一声」・・・・・ごく普通の人間が登場する場合は、ゆったり、穏やかな「次第」であることが多いが、ここではリズムに乗ったお囃子となつている。
この演奏により、これから登場してくる人物が「ただの老人ではなさそう?」という雰囲気が醸し出されている。

☆この時点で能舞台の周りは海水が満ち始める・・・・

・労働着である水衣、腰蓑を着けて田子(担桶)を担いだ「汐汲姿」である。
都の中の汐汲姿はどうしても「ちょっと変な老人?」をイメージさせてしまう。

・シテはサシ→下歌→上歌と謡い続ける。老いの嘆きがしみじみと伝わってくる。

シテとワキの問答
・この問答の中で、汐汲と応えたシテに対してワキは「不思議やこゝは海辺にてもなきに」と不審に思う。これに対しシテは「河原の院こそ塩釜の浦候ふよ」と応える。ワキ「さてはあれなるは籬(まがき)が島候ふか。」・・・とのやりとりは、まことに心ある旅僧である。

千賀の塩釜・・・・現在の塩釜
籬(まがき)が島・・・塩釜の浦にある。
「月こそ出でて候へ」で月を東の方角に見る。通常では揚幕の方向が「東」という設定であるが、ここでは両人とも現実に今ある月を見ている。

・池に映る月も現実のものを見ている。

老人の回想・・・・融の大臣の物語を始める。←融の死後院は荒れ果てている。
・海水を入れていた池は淀み濁って、落ち葉が溜まり、もう月を映すことは出来ない現実。
・紀貫之の「君まさで煙絶えにし塩釜の~」で、これが事実であったことがわかる。
時の経過とともに、老人が今まで見てきたのは「過去」のもので、ここに来て初めて現実を感じる。

やがて・・・・
・「昔恋しや」・・・・昔を懐かしんで涙する場面である。「融」で唯一の強い感情表現の場面である。
膝を崩して、おいおい泣く姿が一般的であるが、ここでは立ったまま静かに抑えた表現となっている。

・ワキは老人の嘆きをさほど意にとめず、都の名所を尋ねる。場面を明るく転換するところが快い。(老人の嘆きは、ひとり胸のうちで起こったようにも思える)
No.2
名所教。・・・・・場面の転換。
・有名な地名を次々にあげ、関連する和歌や漢詩などで紹介して行く見せ場で、一種の様式的演技であるといえる。これはこの曲に限らず、「頼政」「田村」「兼平」等色々な能にとりあげられている。
謡と演者の動きで観客の想像力を刺激し、様々な場所を浮かび上がらせる面白い場面である。基本的に大切なことは、方角を的確に演じ分けることです。

・音羽山、音清閑寺、今熊野・・・・伏見、京まで紹介している。

汐汲。私たちはこのような場面をもう見ることはないのではないか・・・・・
シテは面をつけているので、「勘」で動いているであろう。現実に片足ははみ出している。すばらしい緊張感ある場面です。

《中入り》
§僧はもしかしたら・・・いつの間にか夢を見ているのかもしれないと思えるような非現実的な不思議な出来事を体験したのかもしれない・・・

アイ登場。
・夜も遅い時間に荒れ果てた河原の院跡をふらふら歩いている人がいるというのも、非現実的である。この場面も夢の中なのかもしれないという気をおこさせる。

《後場》
・囃子は「出端」(後場にだけある静寂と躍動感を交差させた登場音楽。)。必ず太鼓がはいるので、古くは「太鼓一声」とも言った

後シテ登場。
・装束:黒垂、単衣狩衣、指貫(浅黄色)、面は中将・・・・・貴族を表している。
ここでは「白い月光」に照らされた場面で、「白い世界」を表現している。

早舞。・・・・今は月の世界に住む融が月光を浴びながら楽しげに舞に遊ぶ様子を見せる。5段構成。3段目に特殊演出。
ゆったり、のびやかで楽しげな雰囲気を醸し出す点に特徴がある。ノリ良く、上品であることが大切とされる。笛・小鼓・大鼓・太鼓で奏される太鼓物である。

①初段・・・・・笛が低く吹き下ろし、他の楽器も休止状態となる。シテも動きを止める(おろし)→次第に早い動作となっていく。
★屋外にある舞台の為、板がすべらず大変舞づらい様であるが、友枝さんは「ハコビ」を上手に工夫し、普段通りの美しい舞を見せている。
②二段・・・・・扇を両手でとる。初段よりも少し軽快に。笛は常よりも長い。おろしへ。早くなっていく。

③三段・・・・・この舞の中心部分である。
(オオクマタギ)・笛が通常の拍で区切らず、次々とまたがるように特別の譜を繰り返していく。
         ・大小鼓は通常の演奏(地)を繰り返している。
結果として、笛だけがズレるような演奏となり、効果を上げている。
(くつろぎ)  ・笛は一定のリズムに乗らない自由なアシライ。小鼓は一拍に一音。
この「くつろぎ」は本来舞台上から地謡、後見座へ引くことを意味しているか゜、「早舞」では、橋掛を通って揚幕まで行って、休息する形となっている。ここでシテは月を眺める型をとる。
後半で笛は呂中干、小鼓はオツ流し、太鼓は流しの手となる。
④四段
⑤五段・・・・・短くアップテンポで舞い収める。

・「あら面白の遊楽や。~」は地謡が謡っているが、ワキの代弁をしている。
・三日月を色々なものに例えている。
1.船・・・・月が池に映って舟に見える。
2.釣り針・・魚には月が釣り針に見える。
3.弓・・・・・飛んでいる鳥には月が弓に見える。
◇月は降りてくることもなく、水は天に昇ることもない。だから鳥や魚は安心して眠っている。

やがて東から太陽が昇り、月は西へ沈む。そして・・・・融は月の世界へ帰っていく。
・シテが自然な形で退出した為、ワキが「留め拍子」を踏む。
以上

能曲目鑑賞ポイント解説