この能の作者と作品背景。
紀貫之の「蟻通明神」を素材に世阿弥が作った曲と言われているが、蟻通明神の縁起談を基にしているため、世阿弥以前の古体を残した作品だとされている。なお、明神の縁起を取り扱っていることから、本来初番目物に分類されるべきであるが、伝統的に四番目に分類されてきた。
室町時代より大名から庶民至るまで蟻通神社の名は全国的に有名になり「親孝行の神」「知恵の神」「敬老の神」「旅、旅人に縁が深い」として信仰が深まり、今日に至るまで隆盛している。

紀貫之が役人として赴任の折、明神の前で馬が動かなくなり、貫之が二首を詠んだというのが、この能の題材になってる。

見どころ。
全体に動きに乏しく、典雅な雰囲気の能である。

①貫之の和歌が神の怒りを静めたという、和歌の徳が主題。
紀貫之の歌は「雨雲の立ち重なれる夜半なればありとほしとも思ふべきかは」。「有りと星」つまり雲に遮られて星が有ると思えないというのが蟻通と掛詞。

②宮人が神の本性を表すところ。

③大鼓、小鼓、笛が囃す中に、太鼓が入り神楽が始まる(急に神楽っぽくなる)。→お能から神事に移る。
ストーリーや情の世界から、時間経過のない神事の世界へ。

④鳴り出した太鼓の音とリズムが、それまでの現実を切って、高揚というか陶酔を招く。→より原始的な世界へ。
 ※この囃の音の変化に重なるシテの変化に注目。

ワキ、ワキツレ登場。~お囃子は「次第」

・紀貫之(ワキ)一行が和歌の心を尋ねるべく玉津島神社へ行く途中である。
※紀貫之・・・・「土佐日記」で有名な平安時代を代表する歌人の一人であり、「古今和歌集」の選者でもある。
◇能における登場人物としての紀貫之は「草紙洗小町」に登場している。
玉津島神社・・・・紀州和歌浦
雅日女尊(わかひるめのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)、衣通姫尊(そとおりひめのみこと)が奉られています。

・装束:白大口に薄青の単衣狩衣、風折烏帽子を着けた貴人の姿である。
能は「マイナスの究極」の芸術と言われているように、その基本は「シンプル」であり、省略の芸能である。従って、ここでもワキは実は馬に乗っているのであるが、ここでは省略されている。

・ワキ詞→道行では「暮れわたる・・・」と言った後、「あら笑止や・・・」では、一転俄かにかき曇って大雨となる情景ですから、容易ではない。

シテ登場。
・お囃子はアシライ・・・・・知らない間に「ふっと何かが現れていた」・・・・そんな雰囲気を醸し出している音楽。
シテ登場の背景は「雨の闇夜」という雰囲気であり、しかもシテは老体の神職(化身)という独特の雰囲気を十分に表現した音楽となっている。

・シテの謡はもとより抑えめに扱うが、滅入ってしまっては「神々しさ」が失われるので、謡ひとつにかかっていると言える。
?!現在の蟻通神社は大阪にあるが、これは太平洋戦争時に強制的に移転させられたもので、元々は紀州街道沿いにあった。従ってもの寂しい、静かなそれなりの環境だったと言える。

・傘を差しているのは「雨が降っている。」ことを表しており、ヨタヨタした歩みは辺りが「真っ暗」であることを表している。

・装束は「宮人」らしい衣装である。翁烏帽子、小格子厚板の着付け、大口、縒りの狩衣。
シテが傘を持って出るという、能としては珍しい曲です

・舞台上で後見が衣装直しをしている。・・・・・登場の際、松明を持っていたので、狩衣を少し上げていたものをほどいている。祝詞をあげる準備をしているのである。

神憑り
・祝詞をあげている間に、段々神がかりというか、神の本性に戻っていく。
・神代の時代を思い出し、神楽(立ち回り)を舞う。→神様の威厳を示す、荘厳な感じとなる。
※立ち廻り
・立ち廻りは「御神楽の心」です。シテが静かに舞台を一巡する程度の簡素な動きですが、自ずから品格が備わり、清浄な趣がうかがわれなければ、この能の「立ち廻り」とは言えない。

和歌によろこび一時あらわれて力をふるった蟻通明神は、また神の領域へ消え、現実が戻り貫之は旅を続けた。
・この能の深夜から夜明けという時の設定は、実に効果的な構想である。
以上

能曲目鑑賞ポイント解説

蟻通