この能の作者と作品背景。

鎌倉時代から室町時代に流布した北条時頼の廻国伝説を元にしている。観阿弥・世阿弥作ともいわれるが作者は不詳である。いつ頃の作品かもはっきりしていないが、永正8年(1,511年)の演能記録が残っているので、そのあたりに作られたものと思われる。武士道を讃えるものとして江戸時代に特に好まれた。

この作品の特徴

①「謡いを中心とした」作品といえる。舞やかけりといった、能にとって本質的な要素は殆んどない。シテとワキによる会話、具体的な動作を全て「謡い」で表現している。※若干の型はある。

②構成は前場・後場に分かれているが、複式無限能ではない。中入りはあるが、二つの場面は時間的に連続したものとして位置付けられている。

③ワキが前場・後場で衣装を取り替えている。能としては非常に珍しい演出である。

④ストーリーがとてもわかりやすい。北条時頼の役回りは「水戸黄門」と似ている。近代的な演劇に通じるものがある。

この作品の見どころ。
①「ああ!降ったる雪かな」という言葉に込める感慨。
②雪の原で僧を呼び止める風情。
③鉢の木を切る時の思い。
④別れの場面のロンギの謡いによるお互いの心情の表現。
⑤痩せ馬に鞭をふるって鎌倉に向かう様子。

《前場》

ツレ登場。・・・・常世の留守宅にいる妻。
・本来この「ツレ」は、初めから所定の場所にいるべきであろうが、わざわざ橋掛りを通って行く設定となっている。この「ツレ」が地謡前に下居したころで、この能の始まりである。

ワキ登場。・・・・最明寺北条時頼

・次第の囃子で登場。続いて次第謡→道行。(ここが聞き所です)
・雪深い信濃の国を旅僧に扮した北条時頼が、大雪に見舞われ、宿を求めている。視界が色をなくしている情景。
・装束:黒い装束にほぼ黒に近い濃紺の頭巾、さらに黒の笠・・・・この色のなさが随所で場を引き立たせている。

シテ登場。・・・・佐野源左衛門常世。

・「あゝ降つたる雪かな。如何に世にある人の~」・・・・・零落した今の自分を実感しながら・・・・・・
※「フッ~タル」の謡いで、「ツ」から「タ」の延ばし方で雪の積もり具合を表現している。
・つづいて「今日の寒さを如何にせん」のところで両袖を合わせて寒さに震える型。

★「ツレ」の役割がとても大事です!!
・みすぼらしい宿を理由に僧侶の申し出をいったんは断るが、妻に諭されて泊める事に同意する。
この時の謡「あさましや我等かように衰ふるも。~・・・」が大事である。ツレの力量が試されると言っても良いほど。
ツレ・・・・・雪の日に外で立って待っている貞淑さを凛として奇麗な立ち姿で見せる。

○「薪の段」
・宿を貸し、粟の飯を振る舞い、秘蔵の鉢木で焚き火をする。梅、桜、松である。昔はいっぱいあったであろう・・・・。
木を切り取る型は本来は「刀」です。
粟を炊くことからの連想で中国の故事の「邯鄲」の話がでて、みすぼらしく見える主ですが、栄枯があったことや、教養の高さが伺えます

「シテ」の聞かせ所です!!
「これこそ佐野の源左衛門の尉常世がなれの果にて候。~・・・」・・・・名を明かした常世が熱く語り始める。→山場である。
初めはゆっくり、次第に早く、声を張り上げ・・・・・・・。

★そして・・・別れの場面。「ロンギ」での見せ場です。
「よしや身の。かくては果てじ唯頼め。~・・・」の別れの場面では、旅僧と夫婦の心情を交互に謡いあう「情緒的」ともいえるところです。

★時頼の威風。
「御沙汰捨てさせ給ふなといひすてゝ~」・・・ここで常世は思わず頭を垂れる。
No.2
《中入り》
アイ登場。
・囃子が早くなる。このテンポの急変によって、緊迫感や忙しく立ち働く様子を示している。
・最明寺時頼による鎌倉への召集がふれまわられます。


・囃子は「一声」である。※「次第」よりリズミカルな感じ。
ワキ登場。・・・・最明寺北条時頼。
・ワキツレ(太刀持ち)等の従者を従えており、位の高さを表している。執権にふさわしい立派ないでたちである。
※これだけ身分の高い人が「前場」では、人と人としての心を通わせたということが、対照的である。

後シテ登場。
・囃子は「早笛」である。
太鼓の入らない「早笛」は、軍勢が移動する場面で「後シテ」が登場する時の囃子で、この曲と「夜討曽我」だけに用いられる。

・いでたちは戦の支度を表している。装束はきらびやかではない。むしろ「みすぼらしい」「古びた具足」・・・そして「痩せた馬」を必死に走らせる様子が、諸国の軍勢の笑いの対象にさえなっている。
この有様は全て「謡」と「型」で表現されている。

☆そして・・・・ハッピィ・エンドへ・・・・・・


【ささやかな疑問】
①戦いはあったのか?いつ戦ったのか?まさか何もしないで帰ったの!?

②この召集は、戦のためではなく、常世のためのものだったのか!?

③この「佐野」という地名はどこか?
本来なら今の栃木県ということであろうが、地理的に整合性がない。次に考えられるのは、群馬県高崎市ということになる。しかし、褒賞として加賀に梅田、越中に桜井、上野に松枝合はせて三箇の庄を拝領している

能曲目鑑賞ポイント解説

鉢木