❐曽我物語について・・・
能の演目には「曽我物語」、「吾妻鏡」を典拠とし、曽我兄弟の敵討ちを題材とする“曽我物”と呼ばれる作品群が有ります。
「曽我物」は15世紀前半に上演された例があり、室町時代から人気のある題材であることがわかる。
●調伏(ちょうぶく)曽我(宝生流、金剛流、喜多流の現行曲)
[前]源頼朝は工藤祐経らを従えて箱根権現へ参詣する。箱王は箱根別当と共に頼朝の威光を拝しに現れるが、父の仇である祐経を見て幼な心にも復讐心を起こす。祐経は箱王を呼び寄せて、父河津殿を射殺したのは自分ではない、と言い逃れをする。やがて頼朝に従って帰る祐経を見て、箱王は同輩の太刀を盗み取って追い駆けるが、別当に制せられて別当の坊へと帰って行く。
[後]別当は箱王の志に同情し、護摩を焚き祐経の形代を供え、不動明王に祐経調伏の祈願をする。やがて護摩壇上に不動明王が現れ、形代に剣を刺し通し首を切り落として、箱王がやがて本望を遂げるであろう事を予言する。
●元服曽我(喜多流の参考曲)
曽我十郎祐成は父の敵祐経を討とうと思っているが、自分一人では心許無いので、弟箱王を連れ出すために箱根へ向かう。箱根別当は、曽我兄弟の母の仰せで預かっているのだし、やがて出家させて自分跡を継がせたいからと受け入れなかった。しかし兄弟の敵討ちへの熱意に負けて、箱王を送り出す。
祐成は、このまま母の許へ立ち寄っても箱王の元服は許されないだろうと考え、途中の宿で元服の儀式を行う。そこへ別当は箱王の髪を生やしてやろうと追い掛けてやって来るが、既に兄によって髪が生やされて見事な男と成った箱王を見る。一同は元服を祝い酒宴を開き舞を舞い、本望を遂げようと勢い付く。
●物語の位置づけと特徴。
前述のように、「工藤素祐経との出会い」「弟箱王との出会い」「五郎の元服」「母への暇乞い」「祐成と虎御膳との恋」「兄弟の仇討」というエピソードを個々に独立させた「曽我兄弟シリーズ」の形となっている。
多くが現在能で、勇壮な切りあいや華やかな歌舞を中心にしている。
そして・・・・小袖曽我へ・・・
「小袖曽我」は室町時代後期の16世紀頃には記録に見られるが、作者は不明である。
❐さて・・・・・本番です・・・
●役者登場・・・・・・・・。まずツレの登場です。
ツレ(母親役)が唐織・紅なしの装束で現れる。
唐織:女性のうわぎとして着用する小袖。紅入は若い女性が用いる。紅無は中年以上の女性が用いる。
この女性は夫を亡くし、子供にも背かれていることからすれば「狂女」の状態であろうが、笹をもっている訳でもないので、普通の母親と見るべきであろう。
●次第で・・・・。
お囃子は大鼓、小鼓が中心、笛はあしらいで場面導入のための登場音楽の一種である。
曲の特徴や登場する役柄によって異なるが、「小袖曽我」のように若々しい武士や従者が登場する能では勢いのあるにぎやかな印象のある演奏になっている。
●シテ登場・・・・・・・・。ここではツレ、トモも同時に登場です。
・面をつけていないのは「現在能」をあらわしている。
従者(トモ)が烏帽子をかぶっていないのは、「正式な武士」ではないことをあらわしている。
・4人向き合っているのは「自己紹介」であり、また、仇討の決意表明でもある。
●男舞。
武士を主人公にした「現在能」では、しばしば酒宴の場面が一曲のクライマックスになることがある。そのような場面では「男舞」を舞うのが一般的である。
※男=元服した成人男性の意味。従って少年、老人、僧は男には入らない。
《この舞の意味》
・いかにも武士らしいテンポの速い颯爽とした「舞」である。
・兄弟と母親の和解と惜別の舞である。
※男同士の「相舞」そのものが特殊演出である。この曲ではお互いの位置を変えているが、これも特色である。
❐最後に・・・
兄弟の父親河津三郎は相撲が得意だったようで、「カワヅガケ」の発案者だったらしい。現在でも静岡県河津町にある「河津神社」に奉られている。また本名 伊藤祐泰といい、由緒ある家柄である。
ちなみに・・・・五郎元服後の名「時致」の時は北条時政の一字をもらったものであり、祐成も北条家に出入りしたことがうかがわれます。
みごと兄弟は仇討を遂げますが最後は22歳と20歳の若さで生涯を終えます。
❑小袖曽我