★以下の部分は今回は「一度の次第」という小書きのため省略されています。
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ワキ、ワキツレ
山は浅きに隠家の。山は浅きに隠家の深きや心なるらん。
次第

これは高野山より出でたる僧にて候。我このたび都に上らばやと思ひ候。

サシ
それ前仏は既に去り。後仏はいまだ世に出でず。

ワキ、ワキツレ
夢の中間に生れ来て。何を現と思ふべき。たまたま受け難き人身を受け。逢ひ難き如来の仏教に逢ひ奉る事。
これぞ悟の種なると。
思ふ心もひとへなる墨の衣に身をなして。

上歌
生れぬさきの身を知れば。生れぬさきの身を知れば。憐むべき親もなし。親のなければ我が為に。
心に留むる子もなし。
千里を行くも遠からず。野に臥し山に泊る身のこれぞ誠の。栖なるこれぞ誠の栖なる。
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シテ次第
身は浮草をさそふ水。身は浮草をさそふ水。なきこそ悲しかりけれ。

サシ
あはれやげにいにしへは。驕慢もつとも甚だしう。
翡翠の簪は婀娜(まだ)とたをやかにして。楊柳の春の風に靡くが如し。また鴬舌のさえずりは。露を含める糸萩の。
かごとばかりに散りそむる
花よりもなほ珍しや。今は民間賎の目にさへ穢なまれ。諸人に恥をさらし。嬉しからぬ月日身に積つて。
百年の姥となりて候。

下歌
都は人目つゝましやもしもそれかと夕まぐれ。

上歌
月もろともに出でて行く。月もろともに出でて行く。雲居百敷や。大内山の山守も。かゝる憂き身はよも咎めじ木隠れてよしなや。

右ウケ
鳥羽の恋塚秋の山。月の桂の川瀬舟。漕ぎゆく人は誰やらん。漕ぎゆく人は誰やらん。

シテ詞 あまりに苦しう候ふほどに。これなる朽木に腰を懸けて休まばやと思ひ候。

ワキ詞
是は高野住山の沙門にて候。霊仏霊社参詣の為、只今都へ上り候。急ぎ候程に是は早や津の国阿倍野の松原とかやも申し候。
此所に暫く休らおうするにて候。

ワキツレ
尤もにて候。

ワキ詞
のうのう是なる乞丐人御覧候え。あら浅ましとやつれ果てて候や。腰かけたるは卒都婆にては候わぬか。教化してのけばやと思い候。

<卒都婆問答>

シテ
仏体色相のかたじけなきとは宣へども。是ほどに文字も見えず。刻める像もなしたゞ朽木とこそ見えたれ。

ワキ
たとひ深山の朽木なりとも。花咲きし木はかくれもなし。


いはんや仏体に刻める木。などかしるしのなかるべき。

シテ
我も賎しき埋木なれども。心の花のまだ有れば。手向になどかならざらん。


さて仏体たるべき謂は如何に。

ワキツレ
それ卒都婆は金剛薩だ(土へんに垂)。かりに出化して三摩耶形を行ひ給ふ。

シテ詞
行ひなせる形は如何に。

ワキ
地水火風空。

シテ
五大五輪は人の体。何しに隔あるべきぞ。

ワキツレ
形はそれに違はずとも。心功徳はかはるべし。

シテ詞
さて卒都婆の功徳は如何に。

ワキ
一見卒都婆永離三悪道。

シテ
一念発起菩提心。それも如何でか劣るべき。

ワキツレ
菩提心あらばなど浮世をば厭はぬぞ。

シテ
姿が世をも厭はゞこそ心こそ厭へ。

ワキ
心なき身なればこそ。仏体をば知らざるらめ。

シテ詞
仏体と知ればこそ卒都婆には近づきたれ。

ツレ
さらばなど礼をばなさで敷きたるぞ。

シテ
とても臥したる此卒都婆。我も休むは苦しいか。

ワキ
それは順縁にはづれたり。

シテ詞
逆縁なりと浮むべし。

ツレ
提婆が悪も。

シテ詞
観音の慈悲。

ワキ
槃特が愚痴も。

シテ詞
文殊の智恵。

ワキ
悪と云ふも。

シテ
善なり。

ワキ
煩悩といふも。

ツレ
菩提もと。

シテ
菩提なり。

シテ
植木にあらず。

ワキ
明鏡また。

シテ
うてなに無し。


げに。本来一物なき時は仏も衆生も隔なし。もとより愚痴の凡夫を。救はん為の方便の。深き誓の願なれば。
逆縁なりと浮むべしと。ねんごろに申せば。誠に悟れる。
非人なりとて。僧は頭を地につけて。三度礼し給へば。

シテ
我は此時力を得。なほ戯の歌をよむ。極楽の内ならばこそ悪しからめ。そとは何かは苦しかるべき。


むつかしの僧の教化や。むつかしの僧の教化や。

ワキ詞
是は心ある乞丐人に候。古の名を尋ねばやと思い候。いかに乞丐人古は如何なる者ぞ名を御名のり候へ。

シテ詞
恥かしながら名を名のり候ふべし。これは出羽の郡司。小野の良実が女。小野の小町がなれる果にてさむらうなり。

ワキワキツレ
いたはしやな小町は。さもいにしへは優女にて。花のかたち輝き。桂の黛青うして。白粉を絶えさず。羅綾の衣多うして
桂殿の間に余りしぞかし。

シテ
歌をよみ詩を作り。
下歌
地(サシ)
酔をすゝむる盃は。漢月袖に静かなり。まこと優なる有様のいつ其ほどに引きかへて。

地歌
頭には。霜蓬を戴き。嬋妍たりし両鬢も。膚にかしげて墨乱れ宛転たりし双峨も遠山の色を失ふ。百年に。一年足らぬつくも髪。
かゝる思は有明の影恥か
しき我が身かな。

ロンギ地
首に懸けたる袋には如何なる物を入れたるぞ。

シテ
今日も命は知らねども。明日の飢を助けんと。粟豆の餉を袋に入れて持ちたるよ。


うしろに負へる袋には。

シテ
垢膩の垢づける衣あり。


臂にかけたるあじかには。白黒の慈姑あり。破れ蓑。

シテ
破れ笠。


面ばかりは隠さねば。

シテ
まして霜雪雨露。


涙をだにも抑ふべき袂も袖もあらばこそ。今は路頭にさそらひ。往来の人に物を乞ふ。乞ひ得ぬ時は悪心。また狂乱の心つきて。
声かはりけしからず。

シテ
なう物給べなう御僧なう。   

ワキ詞
何事ぞ。

シテ詞
小町がもとへ通はうよなう。

ワキ
おことこそ小町よ。何とて現なき事をば申すぞ。

シテ
いや小町といふ人は。あまりに色が深うて。あなたの玉章こなたの文かきくれて降る五月雨の。空言なりとも。一度の返事もなうて。
いま百年になるが報うて。あら人恋しやあら人恋しや。

ワキ
人恋しいとは。さておことには如何なる者のつきそひてあるぞ。


シテ
小町に心を懸けし人は多き中にも。殊に思深草の四位の少将の。


恨の数のめぐり来て車の榻に通はん。日は何時ぞ夕暮。月こそ友よ通路の関守はありとも留まるまじや出で立たん。

物着 舞

シテ
浄衣の袴かいとつて。


浄衣の袴かいとつて。立烏帽子を風折り狩衣の袖をうちかづいて。人目忍ぶの通路の。月にも行く暗にも行く。雨の夜も風の夜も。
木の葉の時雨雪深し。

シテ
軒の玉水。とくとくと。地「行きては帰り。かへりては行き一夜二夜三夜四夜。七夜八夜九夜。豊の明の節会にも。逢はでぞ通ふ鶏の。
時をもかへず暁の。榻のはしがき百夜までと通ひいて。九十九夜になりたり。

シテ
あら苦し目まひや。


胸苦しやと悲しみて。一夜を待たで死したりし。深草の少将の。その怨念がつき添ひて。かやうに物には狂はするぞや。

キリ
これにつけても後の世を。願ふぞ誠なりける。砂を塔と重ねて。黄金の膚こまやかに。花を仏に手向けつゝ。悟の道に入らうよ。
悟の道に入らうよ。
以上

能の詞章

■卒都婆小町 謡