能曲目鑑賞ポイント解説

老女物の入門としての曲
・観阿弥原作の古曲を世阿弥が改作した”老女物”である。観世流では「ソトハ小町」と呼んでいる。
※百歳にならんとする小町に「バ」という言い方をさせないためか?
・シテは「ソトハ」と言っているが、ワキは「ソトバ」と謡っている。
①卒塔婆小町(入門編としての位置づけ)
②鸚鵡小町
③姨捨
④檜垣
⑤関寺小町(芸を極めた者だけが許される秘曲である。)

卒都婆とは・・・・・・卒塔婆のことですが、主人公が小町ということもあり、能の構成上都・極楽の「外」を表現するため、あえて違う字を用いている。

※卒塔婆はもともと、梵語でストゥーパという言葉を、音訳したものです。ストゥーパとは、本来「高く姿を表したもの」の意味ですが、仏塔とも訳され、後に「仏」そのものを表すことになりました。
 日本のお寺でよく見ることのできる五重塔ももとをたどればストゥーパですし、五輪塔ももとをたどればストゥーパです。
 卒塔婆は、五輪塔のかたちがもとになってできました。このかたちには、仏教の世界観が表現されています。五つにくびれているので、五行(木火土金水)、五大(地水火風空)を表している。

この曲の魅力・見どころ
①シテを演じている片山九郎右衛門は関寺小町を二度も演じている能楽師である。「卒塔婆小町」を演ずるというのは、能を極めた者がよりやさしい曲を演じ直し、新たな「花を咲かせる舞台」として位置づけられる。
粗いものを粗く、固いものをひたすら固く演じることは達者であれば容易かもしれないが、異質なものを内在させた美の表現は、高い芸域に至って初めて可能な境地である。
【卒塔婆問答】では、老女の小町が決して失ってはいない「誇り」と「心の花」をもちながら、仏への救いを求める「静かな心」がひとつとなつた大変気高い舞台である。

②老女物の謡のすばらしさ
・特にサシコエ⇒下げ歌⇒上げ歌、「問答」でのシテの謡に注目。

③「一度之次第」という小書き演出で、通常は最初にワキが出てきて次第・・・・なのだが、初めからシテの詞ではじまるため、ワキの次第は省略されている。
④前場の「卒塔婆問答」による緊迫した掛け合い。
⑤後場の深草の少将の憑依による物狂い。

シテ登場・・・・小書き演出のためシテが最初に登場し、次第を謡う。
※この小書きの目的は、物語上の時間経過を小町主観にするための工夫と思われる。
・囃子は一段と閑で、その手組も習いの特殊なものとなっている。「打音」「掛け声」「コミ(音にしない一種の間)」
・装束:紅無、水衣着流し、杖をついて登場。
・面  :姥(江戸時代後期の作)
・笠に隠れてその面はまだはっきりしていませんが、杖のつき方と歩き方から「老女」であることが滲みでています。
・杖をついた老女はごく静かな足どりで橋掛かりをすすみ、立ち止まり杖に両手をかけて身をもたせかけ、しばらく休みます。これは「老女物」にだけある「休息の型」である。⇐囃子もそれに従って、テンポをおとす。
・静かな登場の囃子に一歩一歩踏みしめるごとく運ぶ老足に、百年の想いが交錯する。この能の成否が決まる静寂かもしれない。
※「休息」の型は必ず演じなければならないという訳ではない。写実を避け、それを演じずに老女の風姿を表すことができれば、さらに位の高いものになる。
見せるための型になつたのでは意味がなく、自然の趣こそがなにより大切なのです。

次第から始まる「老女物」謡。
・「身は浮草を誘う水無きこそ悲しかりけれ」と次第そしてサシコエを謡う。⇐かつての華やかさを思いながら・・・・それにひきかえ今は・・・・
※落ちぶれてしまって未練もないこの世だから、いっそ何かに巻き込まれて死にたいと思う
「浮き草」は小町の歌、「わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」を意識したもの。《地謡による地取り》
◆老女物の謡は、息扱いと気合、そして間の扱いに尽きる。謡は息で謡う。よほど息が強くないと本格的な老女物の謡は謡えない!

◎老衰に耐え難きに見える小町は「あわれやげに古は驕慢、最も甚だしう」とつぶやく。
「驕慢」この能の骨格をなすものである。
後に「問答」の後で小町は勝ち誇ったかのように、得意の歌を詠み驕慢をみせる。

・下げ歌⇒上げ歌では都から他所にさすらい行く情景が謡われる。
※右うけして見渡し、笠に左手をかけ、三足ほど詰め、遠くを眺める。はるか川面に一葉の舟が浮かぶ美しい光景が描きだされる。

・疲れて腰をかけて休む・・・・・・これが「卒塔婆」である。

ワキ・ワキツレ登場

ワキはシテの後、ワキツレはシテの横を通ってワキ正面に行き、シテに対します。これは双方からシテを説得する形です。

卒都婆問答・・・シテ、ワキ、ワキツレ、地謡。
僧は形式論、老女は実質論理を展開し、一切聞き入れようとしない。
ああ言えば・・・・こう言う・・・・ある時は僧をからかい、左右から攻めたてる僧に対してことごとく反論します。

極楽の内ならばこそ悪しからめ。そとは何かは苦しかるべき。
~極楽の中だったらダメかもしれないけど、外で卒塔婆に腰掛けて何が悪いというの?何も問題ないと思うけど・・・・~
※極楽の外と卒都婆をかけている。
能における小町は誰からも顧みられることのない朽木のような老女であっても、心の華の残る自分を仏へのたむけの花だと言い切り、経典を自在に駆使し、僧侶を屈服させる。

高僧は悟りの深い乞食であると感服して身分の高い人にするように頭を地につけて三度の礼をします。
この時点でますます気を良くしていく・・・・そして・・・かつての驕慢さが・・・・

地謡よる小町の昔と今。
・サシ「酔いをすすむる~」・下歌では昔をやや客観的な感じで閑かに謡う。
・上歌では、百歳の姥と衰え果てた今の有様を描写している。
⇒シテは笠をとりあげて、ワキに顔を隠します。・・・・まことに風情のある美しい型です。

◆『憑き物の物狂い』
・僧たちの礼拝を受けて、一度は調子に乗って「たはぶれの歌」を詠む小町だが、求められて正体を明かしてしまうと、今度は途端に狂気じみてくる。それはまるで自らの実際の姿から目を逸らそうとしているかのようでもあり、同時にまた狂気以外ではあり得ないような己の宿命に徹しようとする姿にも感じられる。

・小町は突然「なう物賜べ。なうお僧なう」、といいながらワキに詰め寄る。

物着
・烏帽子と長絹をつけて深草の少将の憑いた老婆の小町を演ずる

◎深草の少将の霊
老いてなお不屈のプライドを保つ小町だが、昔の栄華に引き換えて、物乞いをして歩く現在の浅ましさを語るうちに小町に変化が現れます。
深草少将の霊が小町に取り憑きます。
※小町は言い寄る相手に一度も答えることがありませんでした。驕慢そのものです。それでも深草少将は小町との約束を信じて、月を友とし、関守をも恐れず 袴の裾をからげ烏帽子を風折りにし狩衣の袖を被いて人目を忍んで月の夜 闇夜 雨の夜 風の夜に通いつめました。九十九夜まで通ったところで病に倒れ百夜目を待たずに亡くなりました。

百夜通いの昔を再現
・少将の怨念が小町に取り憑いて小町の体を借りて百夜通いの昔を再現します。
・イロエ、右うけ→正面→二足詰め→常座へ三足出し→正面へ二足詰め
         ↓
この動作は、日の重なりと距離の長さと過ぎ去った時間を象徴的に表している。
・小指で九十九夜を数える型。

自分が苦しめた男性の最後の有様を見せる訳で、その姿はいたたまれない程に無残である。
しかし、小町の静かな姿は、自分のせいで死んでいった男性の苦しみを自らの苦しみとして、心静かに懺悔しているように映ります。
最後に小町は全ての苦悩を仏に預け・・・・・曲は終わります。→仏の光明を感じる場面です。

最後に・・・・
平安中期ないし末期に書かれたであろう「玉造小町子荘衰書」の中で、往時の贅沢の限り・・・そして親兄弟の死によって零落し悲惨をきわめた女性が老いさらばえて町を徘徊する様が綿々と語られている。この物語の主人公は小野小町ではないが,小町の物語として読みつがれてきて,小町像の形成に多大の影響を与えてきた。また弘法大師が中世の人達に「無常」を伝えるために、美貌の女性小野小町がたどった零落無残な成れの果てを絵にして表したものもある。
「若さと美貌」といういずれ失うものを驕り、高ぶった小町は驕慢の罪に苦しんだのでしょう。その面では、最も仏の救いを必要とした女性であったといえる。

卒都婆小町