観世流(大和猿楽結崎座(ゆうざきざ)が原点)
観世座は、観阿弥に始まり、観阿弥の子世阿弥が二代目で、能の特徴である夢幻能を作り出した。その後おいの音阿弥が継いだ。

室町時代に幕府の保護を受け、江戸時代には四座の筆頭を占めた。現在は五流最大の勢力となっている。

宝生流(大和猿楽戸山(とび)座が原点)
宝生流の祖は観阿弥の長兄宝生大夫。座の中心的役者宝生大夫の名を取って宝生座と呼ばれるようになったらしい。室町時代には小田原の北条氏に保護されていた。

現在は観世流につぐ勢力をもっています。

金春流(大和猿楽円満井(えんまい)座が原点)
遠祖は秦河勝(はたのかわかつ)、下掛り諸流(観世、宝生の上掛りに対し、金春、金剛、喜多流の三流をいう。)の中で最も古い家柄であります。

奈良を本拠地とし、興福寺、春日神社とのかかわりも深い。
その後も、世阿弥の女婿金春禅竹、禅鳳などの能役者を輩出しました。


金剛流(大和猿楽坂戸(さかと)座が原点)
世阿弥時代の金剛権守は重厚で幅のある役者と評されている。室町から江戸時代には、流勢があまり奮わず、7世金剛氏正が没してからは大和猿楽伝統の芸は絶えてしまった。

現在は弟子家の野村金剛家の金剛巌が宗家。「舞金剛」といわれるような型どころの多いい舞いが特徴です。

喜多流(江戸初期創立)
江戸時代に確立した下掛りの流派で、流祖は七太夫長能。長能は、金剛座の役者で、金剛大夫弥一の養子となった。しかし、弥一没後実子が成人すると実子に大夫を譲り、喜多流を樹立した。

明治維新後一時は、廃絶の危機に直面したが、14世六平太という名人を生んだ。芸風は武士道的精神主義が濃く、ガッシリしている。
□囃子方
主役であるシテの相手役で、必ず現実の人間として登場し、面をつけず(直面)、観客の「目」として見る役と、主役と対立したり共演する役とに分けられる。シテが非現実的な存在に対して現実的な実存性を強調する。流儀には現在、福王流、下掛宝生流、高安流の三流が残っている
□ワキ方
笛方・・・・・・森田流・一噌流・藤田流
小鼓方・・・・幸流・幸清流・大倉流・観世流
大鼓方・・・・葛野流・高安流・石井流・大倉流・宝生流
太鼓方・・・・観世流・金春流
能における流派

観世・金春のニ流は観阿弥・世阿弥の系統で古い流派ですが、どの流派も現在では直系は存在しません。
□シテ方
囃子方は